生物学とジェンダー学の対話

日本学術会議主催公開講演会「身体・性差・ジェンダー生物学とジェンダー学の対話ー」に参加してきました。
事前参加申し込みが定員に達して断られた方もあるようで、確かに会場はほぼ満杯という盛況ぶりでした。

主催者側から江原由美子先生と黒川会長のご挨拶があり、総合司会の後藤俊夫先生が猪口邦子大臣からのメッセージを読み上げて始まった。
講演は、以下の通り。
原ひろ子「男女共同参画社会の実現と学術の役割」
上野千鶴子「ジェンダー概念の意義と効果」
束村博子「女と男はどう違う?ー生物学的視点からー」
大内尉義「性差医療の可能性」
井谷恵子「ジェンダー研究からみた体育・スポーツの可能性と課題」


休憩を挟んで、予め予定されたディスカッサント(以下)からのコメントがあった。
竹村和子
長谷川真理子
黒田公美
五十嵐隆
加賀谷淳子


その後、ようやく総合討論となって、フロアからも質問・コメントができるようになり、真っ先に上野先生に対して「セックス=ジェンダーだ、という考え方は生物学的には受け入れられない」「<ブレンダ>は性同一性障害の問題を語るときにそもそも適切な例ではない」という反論を述べた。
上野先生からは「セックスはジェンダーという言語的認知カテゴリーを介してのみ認識される」という点を強調されたが、「生物学的には、性は言語が生まれるよりもはるかに昔から存在しているものである」と、さらに反論。
竹村先生から「ジェンダーは<二項化する>という行為である」
上野先生から「ジェンダーは人間のみに当てはまる」
などの意見がさらに出て、総合討論の司会をした江原先生から「ジェンダーという言葉をどのように使うかについては、研究者の間で必ずしも一致していない」とコメント。

この点が、「生物学とジェンダー学の対話」が難しい点であると思う。
定義がはっきりしていないものは科学では扱えない、とワタクシは思う。
あるいは、少なくとも生物学における議論では<定義>をはっきりしてから行う、と言い換えてもよい。

<ブレンダ>については、上野先生は講演の中で、近著『バックラッシュ』(双風舎)の中で小山エミ氏が反論している、と述べたが、これは私のコメントとはずれた内容なのでここでは言及しない。
「<ブレンダ>は、そもそも、Y染色体を持ち、男性型の脳と身体を持って生まれたにもかかわらず、事故によって小さいときから無理矢理女性として育てられ、やがて<自分は女であるようには思えない>と気づいて、性別再判定を受けたのであって、元々<性同一性障害>であった訳ではないので、そのような例として引用すべきではない」
これに対し、上野先生は「<ブレンダ>についてはそうかもしれないが、そうではない別の事例も報告されている」
科学の世界では、1つでも反証がある場合には、その説を再検討するのが作法であると私は思う。

竹村先生からは「ホルモンによって雄化した雌は、自分を雄だと思っているのでしょうか?」という珍問があり、長谷川先生から「それは訊いても答えてくれないでしょうが、交尾行動を取ることをもって雄だというのであれば(定義)、そうだと考えられます」

・・・というような具合で、上記のようなやりとりが「対話」になっていたのかどうか、私には疑問なのだが、これまでこのような機会はなかったのだから、大きな進歩かもしれない。
また、「<ジェンダーフリー>などケシカラン!」とただ叫ぶような方が聴衆にいなかったのは幸いであった。

念のために誤解がないように申し添えるが、私は上野先生の仰ることをすべて「受け入れられない」と言っているのではない。
敢えて<ジェンダー>という言葉を使わずに私なりに言うとすると、「性別に基づく差別には不当なものがあり、したがって、性別に基づく差別に対して敏感であるべき」だと私も思う。
また、最後にフロアの方が言われた「性同一性障害の人たちは<ジェンダー学>ができたことによって救われた面があるのではないか」というコメントは、大きく考慮するに値すると感じた。

また、これは常々言っていることだが、「生物学者」はこれまで、自分たちの集団の中で閉じており、きちんと社会に対して説明をしてこなかったことが、「ジェンダー学と生物学の大きな溝」の最大の原因ではないかと思う。
多くの優秀な生物学者にとって、CNSに論文を掲載することの方が、アウトリーチよりも大事だったのだ。
その意味で、先日取り上げた山元大輔先生は、ショウジョウバエの脳の性差に関する論文をNatureに出され、なおかつ一般向けの読みやすい本も書かれているような、数少ない方といえる。

ところで最後に、時間もなくコメントできなかったことなのだが、上野先生のスライドに「身体の性と心の性が不一致であるときに、ジェンダーをセックスに一致させるより、セックスをジェンダーに一致させる方が容易?」とあった。
(たぶん、この文章における<セックス>と<ジェンダー>が、一番自然な、つまり、一般の人たちが考える<ジェンダー>なのではないかと思うが)
これは全くその通りである。
何故なら、現在の医療では「脳のつくり」を変えるところまで発達していないのだから。
ただし、この問題は倫理的に別の問題にもつながる点をはらんでいる。
例えば、誰かが「私はもっと力強くなりたい!」と考えて、自らの遺伝子を改変して筋肉増強するとか、機械を使ってサイボーグ化するということは許されるのだろうか?

*****
少し前に「サイエンスエンジェル」のことを書いて「チャーリーズエンジェル」をパクったポスターは面白いのでは?と述べたのだが、こちらについて関係者から駄目出しされてしまいました(涙)。
なぜなら、Charlie's Angelsたちはボスのチャーリーさんに仕えているという設定なのが、「サイエンスエンジェル」には適さないとのこと。
・・・でもカッコイイのになあ・・・
あ、ちなみに私がイメージしているのは、ファラー・フォーセットの出てた頃のものではなくて、ルーシー・ルーが出てる方なんですが。
Commented by 一聴衆 at 2006-07-09 08:51 x
東北大学のオオスミですとおっしゃった瞬間に大隅先生だと思いました。
上野さんとのやりとりは大変エキサイティングでしたが、一点だけ気になったことを書かせていただきます。
ショウジョウバエの研究について紹介される中で、同性指向の一群を「さとり」と名づけていたと言われました。それは大隈先生の中では会場の笑いを誘いだすユーモアとしてあったように思います。現に会場からは笑い声がもれました。
しかし、もはや異性を指向しないハエ=さとってしまったハエ と名づけること、それが人々のおかしみを誘うものだと含意されていること そのことは 私たちの社会において同性愛者が「オカマ」として笑いものにされていることと果たして無縁でしょうか?
私は笑えないひとりの聴衆としてそこに存在しました。ほかにもそういう方はいたと思います。そしてこのことこそ、人文社会系学者が自然系学者に対して「ご自身の研究を価値中立的な真実の探究と信じて疑わないあなたはいったい何者か?」と問い詰めたいことの背後にある悲しみと苛立ちなのです。
そのことをどうしてもお伝えしたかった。
長文のコメントで、失礼がありましたらお許しください。
Commented by osumi1128 at 2006-07-09 09:31
一聴衆様
コメント有難うございました。ご指摘はたいへんもっともだと思います。少なくともあの会場を構成する聴衆には「satori」という突然変異体の名前に敏感である方が多かったことに対して、配慮すべきであったと反省しています。口から出た瞬間にそう思いましたが、後の祭りです。
ただ、一貫して述べていることですが、私は「satori」が実は悟っているのではなく、性指向が体の表現型とは異なる、ということに対して、ネガティブには思っていません。対象がヒトであっても同様です。束村先生も繰り返し述べておられたように、どちらの性であっても、また、身体的性と心の性が異なる方でも、人間としての価値に違いがあるとは思っていません。同性愛者を含め、マイノリティーがもっと受け入れられる社会であってほしいと心から願っています。
Commented by 一聴衆 at 2006-07-09 10:46 x
こんなに早くお返事をいただけると思っていませんでした。
不躾なコメントを書きましたのにご丁寧に応答していただき嬉しく思っております。
科学者としての大隈先生の真摯な態度を私は尊敬しています。
しかしながら、科学自体にありうは知の探究自体に罪はなく、問題があるとすればその知見を運用する社会あるいは人間の側にあるのだ、と切り離して考えることがどうしてもできずにいます。
山元先生のホームページを探してみました。
「satori変異体他4つの変異体の各原因遺伝子のクローニングに成功し、新規の性決定因子をはじめこれまでに知られていない新しいタンパク質群が性行動にかかわっていることを明らかにした。また一部の変異体については行動異常の「治療」に成功した」と記されておりました。
「行動異常の「治療」」―この言葉は私を震えさせます。
ショウジョウバエで得られた知見が同性愛の「行動異常の「治療」」に応用されるのではないか、と。 (続く)

Commented by 一聴衆 at 2006-07-09 10:49 x
昨日のシンポジウムで人種の話が出ました。
例えば、頭蓋測定学が帝国主義を支えた歴史をもつことなどを、自然科学に携わる方たちはどのようにお考えでしょう。
やはり知の探究(人種ごとに頭蓋骨をはかって比べるという営み)には問題がなく、それを運用する社会(帝国主義)の側が間違っていたということなのでしょうか。
知は常に社会の要請の下におかれており、ショウジョウバエの「行動異常」の原因追求もまた、ヒトへの応用をはかりたいという社会の欲望の下にあるのではないかというのはうがった見方でしょうか。

また長文になってしまい申し訳ありません。
私も生物学から学び、対話を続けたいと強く思っています。
Commented by 数学科の友人K at 2006-07-09 11:38 x
定義ということを数学では大変に重要に考えています.3時間のセミナーで,2時間半定義が続き,最後に定理という体験もあります.このような極端な場合でなくとも,数学では,言葉の意味を皆で共有する確認作業である定義を冒頭に行います.A という概念に,広義A. 狭義A, 準A. 擬A などという細かい区別をつけることもしばしばです.いたずらに名前を増やすのではなく,このように,非常に似た概念に異なる名前をつけるという作業の過程で,その概念の理解が深まります.人間を対象とする学問でこのようなことを行いにくい理由は,人間にはグループ化した瞬間に仲間意識,また違う名前のものへの排斥意識が生じてしまいがちだからではないかと思っています.科学(数学)では,異なる名前をつけることで,理解が深まる,愛着がわくというのが普通です.どの部分が異なるのかをきちんと理解することで,逆に,共通部分の大きさ,大切さへの理解を深める議論ができたらいいなと思っています.
会場にはいませんでしたので,議論のポイントがずれているかもしれません.お赦しください.
Commented by 文系大学院生 at 2006-07-09 16:41 x
大隅さん、はじめまして。昨日の議論は興味深く拝聴させていただきました。上の日記の中での、「生物学的には、性は言語が生まれるよりもはるかに昔から存在しているものである」という、上野さんへの再反論(の要約)は、下記のような内容のものとして理解してよろしいでしょうか?

「言語が生まれるよりもはるかに昔から存在しているものを、生物学的には性(=セックス)として定義している(だから、セックスをジェンダーという言語的カテゴリーと同一視することには反対である)」

この言い換えが適切だとしたら、それに対して、以下のバトラーの言葉を提示させて下さい。

Can we refer to a "given" sex or a "given" gender without first inquiring into how sex and/or gender is given, through what means? And what is "sex" anyway? Is it natural, anatomical, chromosomal, or hormonal, and how is a feminist critic to assess the scientific discourses which purport to establish such "facts" for us?
(次のコメントに続きます)
Commented by 文系大学院生 at 2006-07-09 16:44 x
(上のコメントの続きです)
Does sex have a history? Does each sex have a different history, or histories? Is there a history of how the duality of sex was established, a genealogy that might expose the binary options as a variable construction? Are the ostensibly natural facts of sex discursively produced by various scientific discourses in the service of other political and social interests? If the immutable character of sex is contested, perhaps this construct called "sex" is as culturally constructed as gender; indeed, perhaps it was always already gender, with the consequence that the distinction between sex and gender turns out to be no distinction at all.
(Gender Trouble. Routledge 1999. pp.10-11)
(もういちどだけ次のコメントに続きます)
Commented by 文系大学院生 at 2006-07-09 16:44 x
(前のコメントの続きです)
上記の文章の最後の文が、「セックス=ジェンダー」という「命題」として提示されるとき、そこでは、いくつもの重要な問いや仮定や留保が読み飛ばされてしまっています。
バトラーはここで、以下のような問いを提示しているのだと私は考えます。

「言語が生まれるはるかに昔から存在しているものを、生物学的な言語で『セックス』(性)として定義するとき、そこでは何が起きているのか。その定義自体が、政治的・倫理的に問題のある効果を持つことはないのか。」

こうした問いが、まさに、生物学とジェンダー学とが、対話し議論していくべき問いなのではないかと私は思います。つまり、問題は、ジェンダーの定義というよりは、むしろセックスの定義(をめぐる科学史)なのではないでしょうか。

以上、長文失礼致しました。また、実名で書かれている文章に対して、匿名にてコメントを行う非礼をお許しいただければと思います。
Commented by kan at 2006-07-10 01:08 x
聴衆さんの気になされている『治療』という言葉ですが,それは遺伝学実験における"rescue"というものです。山元先生が「」を付けているように,通常の治療とは意味合いが違います。ある遺伝子を欠損させると変化が出る,遺伝子を戻してやるとそれがrescueされる,という実験系を意味しているもので,臨床的治療とは異なります。これは『翻訳』という問題がサイエンスと社会学との間にもあるという一例だと思います。もっとも,科学的知見が中立かどうかという点は,確かに多分に問題があるコトも事実です。男女のIQ差では,そのIQ判定の方法論に対する疑念が科学雑誌のScienceにちょっと前に掲載されました。一方で,過剰な意味を付与されると結論を誤るというコトもあります。
Commented by kan at 2006-07-10 01:10 x
例えば,日本人はアメリカ人に比べて胃がんの発症率が高い,という報告がなされたとします。これを『日本人をアメリカ人よりも劣るとみなす白人至上主義だ』というように解釈された場合,その報告と結論の間にとんでもない誤読が行われているコトになります。ここでは日本人とアメリカ人という人種レベルですが,そうしたものが男女というレベルにもあるというだけの話です。大隅先生などの生物学者が感じる違和感は,こうした付与された意味をもって生物学批判としているもの,あるいはそれを利用してジェンフリ,フェミ,カルスタなどの批判を行っているもの,その両方向に向けられているのだと思います。
Commented by kan at 2006-07-10 01:26 x
文系大学院生さんの言う点はよく分かります。バトラーのように,セックスを結果として捉え,その起源を相対化した場合,セックスの定義は再考の余地が出てくると思います。結果と考えるという点は"Undoing Gender"でも変わっていませんね。ただ,科学史として考えていくコトには疑問があります。例えば,『遺伝子』という言葉も歴史化すれば,近代の発明品という考え方もできます。ポスト構造主義の中には,それ故に虚構の産物とだけ解釈されている部分が多々あります。そうすると,これは一つの考え方としてそれを真に受けた場合は,近代以前にヒトは遺伝子を持っていなかった,という飛躍を持ち出すような言説も成り立つわけです。バトラーは"Gender Trouble"の中で,デカルト的な精神と物質の二元論を精神に一元化しようとしますが,こうした考え方が『身体性フォビア』を生み出しているように思います。セックスを生み出す法則があるとして,そこから自然という身体性を剥奪し,文化的・社会的構築物としてのみ捉える結果,身体性をすべて拒絶するような新たなフォビアができあがっているように思われます。
Commented by kan at 2006-07-10 01:54 x
また,バトラーは"Gender Trouble"の中で,1987年のCell誌に掲載された"The Sex-Determining Region of the Human Y Chromosome Encodes a Finger Protein"を引用して批判してますが,これは身体性を嫌い,それを排除しようとした努力した結果か,強引な誤読があります。たとえば,女性性がTDFという男性性の不在で決定され,女性性を消極的に描いているように論文著者らを表象し,批判してますが,こういう記述を見るたびに,生物学をやっているものはがっかりしてしまうわけです。この論に導かれて考えるとするならば,実験系からして積極的に男性型性腺を生み出すものを探しているわけですから,女性型性腺に積極的な染色体領域が同定されるはずもないわけで,そしてそれが技術論的にこの当時主流だった方法論ではXXに対しての適応が困難であったコト,それがこの論文の大前提なのですが,まったくこうした点が配慮されてません。おそらく,論文のストーリーだけに眼を通しただけだったために起きたコトだとは思いますが,バトラーの愛読者だけに大ショックでした。ちなみに,女性型性腺に積極的に関与する遺伝子としてWnt4などが同定されていますし,これからも見つかると思います。
Commented by kan at 2006-07-10 02:02 x
かなり長くなってしまいました。和解には時間がかかるようですが,対話によって理解が得られるコトを願います。ヒトの自由意志には必ずしも従順ではない身体,これを否定するのではなく,抱擁しつつ精神と共存するような時が来るコトを期待します。久しぶりにやってきての長文,すいませんでした。あと,性差医療の部分ですが,医学部の講義資料の一部を持ってきてるのがバレバレで,しかもまったく面白味がありませんでした(笑)上野先生はやっぱり話が巧みで,人気があるのも分かります。
Commented by osumi1128 at 2006-07-10 08:15
Kさん、kanさん、コメント有り難うございます。
kanさんは生物学(含む医学)にもジェンダー学にも詳しいので、たいへん建設的なコメントに感謝します。Kさんの言われる「定義」のところに、私も学問の作法の違いを感じています。今日はこれから夕方まで工学部で集中講義なので、また夜に別エントリーを立てるつもりです。とりいそぎ。
Commented by 文系 at 2006-07-10 19:36 x
kanさん、レスポンスありがとうございます。セックスの定義の問題を科学史の次元で捉えようとすると、科学史におけるセックスのはじまりが、「セックス」という概念によって表象されたもの(現実としてのセックス)自体のはじまりと混同されてしまう、という危険性についてのご指摘として理解しました。
生物学とジェンダー学との「対話」がうまくいかないのは、生物学的な現象を語る際に常につきまとう、そうした「言葉と物」(精神分析の用語で言えば「象徴界」と「現実界」)の重なり合いに対するセンシティヴィティが、お互いに欠けていることの結果なのかもしれない、と思いました。
Commented by 文系大学院生 at 2006-07-10 19:39 x
上記コメントの名前欄が途中で切れていました。失礼しました。
Commented by ryo at 2006-07-10 22:15 x
satoriですが、同性指向の性質を指して名付けられたのではなく、「異性に無関心」な形質(表現型)のために名付けられたものと記憶しています。その後の研究の中で同性への指向性が認められたが、名前が先行していた、という経緯だったと思うのですが。。
生物学の研究の中では所謂「名は体を表す」ことになっていない場合も多いと思います。初期の研究の中でわかることは真実のうちのほんの少しで、その後の研究の展開によってははじめにわかったことを覆すような新事実が発見される例も多々あると認識しています。satoriもその一例ではないでしょうか。発見した遺伝子を名付ける際には注意も必要ですが、一側面しか表し得ないのもしかたのないことだと思います。
Commented by osumi1128 at 2006-07-10 23:59
ryoさん、もちろん、講演御のコメントの際には「雌のハエに無関心だったのでsatoriと名付けられたのですが、実はその後調べると、雄のハエに対して求愛行動を取ることが分かりました」と述べています。念のため。
Commented by 咲良美月 at 2006-07-11 00:29 x
一番最後の質問をさせてもらいました、学部生です。以前から、興味のあった内容なのでとても面白かったです。
「セックス」と「ジェンダー」の使い方に、生物学とジェンダー学でずれがあったように感じたのは私個人だけの見解でしょうか?
同じ、「人間」という個体をきる切り口によってこんなに差が出てしまうということにびっくりしました。
凄い先生方ばかりで質問するのに勇気がいりましたが、差異だけでなく、
共通点の話も「対話」なのでやはり聞きたかったです。
自分のディシプリンというものの重要性などを改めて感じさせられました。勉強不足なので、たくさんの話が聞けて良かったです。
ありがとうございました。



































Commented by keya1984 at 2006-07-11 01:29 x
はじめまして。拙い素人意見なのですが、専門的な人の意見もお聞きしながら私が調べた範囲内での知識としていくつかご紹介しますので、お役に立てれば幸いです。

>「セックス」と「ジェンダー」の使い方に、生物学とジェンダー学でずれがあったように感じたのは私個人だけの見解でしょうか?

(生物学ではなくて)精神医学と社会学で違うようです。上記の小山エミことmacskaさんのブログにおける私(芥屋)とmacskaさんのコメントです。
http://macska.org/article/144#comment-10139

なお、上記で「社会学的には」としてあるのはごく一般的な用法としてです。女性学(フェミニズム)ではこれに加えていくつかあるようです。たとえば「ジェンダー・ロール(固定的な性別役割分担)」と二語で言うべきところを「ジェンダー」としている例、あるいは「男女の支配・被支配を示す、権力関係に着目した使われ方」など。また、ことに社会構築主義系のフェミニズムになるとさらに独特な用法「言語を通してsexに与えられた性別の意味づけ」の意味もあって、この場合は「ジェンダーがセックスを規定する」という観念になります。
Commented by keya1984 at 2006-07-11 01:33 x
>定義がはっきりしていないものは科学では扱えない、とワタクシは思う。あるいは、少なくとも生物学における議論では<定義>をはっきりしてから行う、と言い換えてもよい。

そう思います。上記のエントリではほとんど見解が一致している私とmacskaさんなのですが「科学の歪みをジェンダーの視点が正す」ということをめぐっては、こんな衝突になってしまいます。
http://macska.org/article/138
Commented by keya1984 at 2006-07-11 01:34 x
文字数制限の仕組みがわからずブツ切り投稿になってすいません。

なお、「身体の性と心の性が不一致であるときに、ジェンダーをセックスに一致させるより、セックスをジェンダーに一致させる方が容易?」とあったとのこと。これは上野千鶴子の独特な用法で、これが広まってしまった感があります。しかしここでいう「ジェンダー」とはあくまで精神医学における「ジェンダー・アイデンティティ」というときのジェンダーであったはずであり、上野がこれをして「ジェンダーとセックスは独立していることが突き止められた」として今度は社会構築主義でいうジェンダー論の医科学的傍証としているのは、はっきりと誤りです。上野千鶴子の場合、「空白の石版」説といってよく、その観念から性同一性障害・自閉性症候群・同性愛について、いくつも同じ誤解や偏見を繰り返しており、非常に問題だと私は思っております。
http://d.hatena.ne.jp/keya1984/20060628
Commented by kan at 2006-07-12 00:42 x
文系大学院生さん,理解していただけたようで,どうもありがとうございます。ラカン派精神分析も御存知のようで,ひょっとしてフェミニズムに関心がある方でしょうか?ジェンダーやフェミニズムの文献に生物学者が名を連ねる時代が来るコトを願っています。
Commented by ryo at 2006-07-15 17:13 x
大隅さん、講演の内容も知らず出過ぎた発言をしすみませんでした。一聴衆さんのコメントを見て早とちりをしておりました。
by osumi1128 | 2006-07-08 22:16 | Comments(24)

大隅典子の個人ブログです。所属する組織の意見を代表するものではありません。


by osumi1128
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