精神疾患における性差

WorkshopはいよいよDay9になる。
だいぶ疲れてきた様子がstudentsの間に広がっている。
しかも、今日は朝8:30からだったからなおのことだ。

疾患によっては発症に性差があるものがある。
乳癌などが女性特有であるのはもちろんとして(註:男性乳癌患者は女性患者の1/100くらいは存在する)、精神疾患では例えば自閉症の発症は男女比が4-5 : 1くらいで男の子が多く、統合失調症の場合には、障害発症率としてはほとんど変わらないが、男性の発症年齢は20代前半にピークがくるのに対して、女性はその山はやや後半にシフトしており、さらに閉経後に2つ目のピークがある。
発症年齢がやや早いために、患者数全体では男性の方が多いことになるが、原因遺伝子でオーソライズされているものは、今のところすべて常染色体上に載っている。

統合失調症の発症メカニズムの研究には、さまざまなモデル動物が用いられる。
多くは齧歯類(ラットおよびマウス)だが、サルに向精神薬を投与するようなモデルもある(陽性症状のモデル)。
Workshopの間いつも隣に座っているJillに訊いたところサルの場合は雄雌両方実験に供するらしいが、齧歯類を用いた行動解析はもっぱら雄が使われる。
これは、性周期による影響を避けるためである。

統合失調症の発症が何故思春期以降なのかについては、まだ大きな謎である。
おそらく、急激にホルモンの状態が変化することが一種のストレスになっているのではないかと想像するが、今回のWorkshopを聞いた限りでは、まだ「記述」の時代のようだ。
ラットの場合には、生後数周後と7-8週(思春期以降)では、大脳皮質、とくに注目されている前頭葉における神経細胞の性質が大きく異なるという講義を聴いた。
これからどういう仮説を立てて検証していくのかwatchしたい。

さて、今日取り上げるのは「自閉症」の方である。
2つ前のエントリーでも引用したコールドスプリングハーバーの広報誌harbor Transcriptのvol26, no3にSeeking the cause of autismという記事があり、中身を読んでみると、3月にBanbury Centerで行われたautism meetingに招聘されたSimon Barron-Cohenが一般向けのCultural Series Lecture in Grace Auditoriumで喋ったことを元にしている。
冒頭を引用すると下記になる(念のために記しておくが、記事を書いたのはMarisa Macariという人らしい)。

In 1944, Hans Asperger, the Austrian pediatrician for whom Asperger Syndrome is named, suggested that "the autistic personality is an extreme variant of male intelligenceノin the autistic individual, the male pattern is exaggerated". Today, Simon Baron-Cohen of Cambridge University suspects that Asperger was correct and is seeking the cause of autism by using modern methods to test Asperger's "extreme male brain" theory.


この"extreme male brain" theoryというのは自閉症のことを勉強したときに読んだことがあった気がするのだが、そのテーマにチャレンジしている人がいるのは知らなかった。

この説の背景は、Professor of Developmental Psychopathology and director of the Autism Research Center in CambridgeであるBaron-Cohenの説明によれば以下のようである。
Baron-Cohen maintains that females and males in the general population have different メbrain typesモ or cognitive styles. Empathizing is the ability to predict anotherユs feelings and respond appropriately to anotherユs state of mind. Systemizing is the ability and desire to build systems and determine the rules that govern how they work. The typical female brain, Baron-Cohen said, excels at empathy whereas the typical male brain excels at building systems.

その場で講演を聴いていた訳ではないし、個人的にも存じ上げないので説明として合っているか不安だが、誤解を避けるように言うとすれば、ここではEmpathizing およびSystemizing という認知型を定義した上で、次の作業仮説に進もうとしていると考えて頂きたい。
Studies show that individuals with autism frequently have narrow interests and become preoccupied with finding out how a system works. For example, they might become obsessed with spinning the wheel of a toy truck or turning light switch on and off. They find it difficult to pick up on non-verbal cues and have trouble making eye contact and unerstanding othersユs emotions. They are worse at empathizing than males in the general population. They have, however, a greater ability than typical males to understand systems, to read maps, and to solve physical and mechanical problems. In essence, they display features of predicted of an extreme male brain.


傍証として、MRIにより自閉症の子供とその両親の脳をイメージングすると、両親ともに男性型の傾向を示し、またどちらもsystemizer的認知型であると述べられている(具体的なテスト方法などはこの記事からは分からなかった)。

そこでBaron-Cohenの立てた「作業仮説」は、胎児期のテストステロンの量とsystemizing cognitive styleが相関するのではないかというものである。
つまり、何か「測定」できる指標を見つけないと生物学的研究にはならない。
どのくらいの例数なのか、どのくらいの時期のテストステロン量なのかによって信憑性が変わってくるが、記事によればポジティブな結果が出ているらしい。
これが確からしいとなると、胎児期のテストステロンの測定により出生前診断につながる可能性がある。
記事の最後は、このような研究により自閉症発症の謎が解明されるだけでなく、一般的な集団における神経生物学的な性差についての理解が深まるだろうと結ばれていた。

*****
この話題について、「ケシカラン」と思う方は少なくないのではと思っています。
「男性脳・女性脳のように2つに分けるのは問題だ」というご批判については、生物学的には「平均化」すると性差が認められるのは紛れもない事実です。
したがって、例えば統合失調症の患者さんの脳のどこが普通の人とは異なるのか、という研究においては、イメージングする統合失調症の患者さんの集団の中における女性比率が、対照群における女性比率と変わらないように配慮されます。
(より正確に言えば、人種構成や年齢もなるべくマッチさせるようにするのがお作法です)
その上で、患者群のイメージングデータを平均化し、同じく平均化した対照群と比較する訳です。
先日のエントリーにも書きましたが、これは「平均値」として集団を比較しているのであり、個体差はもちろんあります。
ただ、生物学分野において「差がある」と言うときには、かならず「統計学的に有意である」ことが必要であり、その基準を満たしたデータについては敬意を持って取り扱わなければならないでしょう。
あるいは、反論するのであれば、同様のお作法に則ったデータをもってするべきだと思うというのが「生物学者」としての意見です。
※なお、私にとっての生物学者というのは、例えば「私は女性である」というような属性と同じカテゴリーです。I am a biolgistですがI am the biologistではありません。

ここで取り上げたいのは、例えば自閉症のお子さんを持つ方がこの記事を読まれたときに、どんな風に感じるかということです。
日本人の生物学的な感じ方か、正確な科学記事が一般にあまり読まれていないという社会的な問題か分かりませんが、なんとなく居心地の悪いような気持ちにさせてしまうことはないのか不安に思いつつ書いています。
繰り返しておきますが、このエントリーの元ネタはHarbor Transcriptsというコールドスプリングハーバー研究所の「広報誌」です。
著者検索していただけば、Baron-Cohenの論文は検索できますが、2005年に「Testing the extreme male brain (EMB) theory of autism: let the data speak for themselves.」という総説をCognit Neuropsychiatryという雑誌に出していますね。

私が一番問題だと思うのは、「胎児期テストステロン量」で出生前診断できるようになるということの波及効果です。
ダウン症のように中絶可能な時期に診断できるのであればよいというものなのか、予防や治療が確立していない状態における出生前診断というのは、医学的に非常に難しい問題をはらんでいると思います。

最後に補足しておきますが、自閉症の原因として"extreme male brain" theoryというのはけっしてメジャーではありません。
現在updatedな説は脳のmicro-circuits(皮質の中の神経細胞同士の回路)の活動異常というもので、齧歯類やサルなどでの研究が積み重ねられています。
研究の動向としては、むしろ遺伝子候補の方が先に挙がってくるでしょう。
Jill と反対の隣に座っているTaniaによれば、「統合失調症の方が診断がはっきりしているが、自閉症は症状のスペクトラムが広くて診断が難しい」というような問題はあるでしょうが、統合失調症よりも家族を含めた血液サンプルなどが集めやすく、また、第一子が自閉症であったご両親の理解のもとに、第二子の脳の発達を継時的に解析することも行われています。
by osumi1128 | 2006-07-30 23:16

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