記憶の容量

かねてより懸案であったラボ有志によるカラオケは、昨晩滞りなく行われた。
一次会(というより腹ごしらえ)は「ひな野」という「和食バイキング」のお店だったが、これがなかなか健康志向でセンスがよかった。
全国展開しているようだが、2000円で数十種類のお料理とデザート・ソフトドリンク込みなのだが、きんぴら、おから、小松菜のお浸し、玉こんにゃく、切り干し大根、浸し豆など、お野菜料理が盛りだくさん。
しかも、天ぷらやお刺身は少しずつ出されるので、いつも新鮮。
丸い木のプレートに料理を取り分けるというアイディアもすぐれもの。
ご飯茶碗やコーヒーカップは、民芸風の様々なデザインで楽しいし。

こういうときに、皆それぞれ取ってくるものが違うというのが面白い。
やっぱりこれが個性の源のひとつだと思う。
医食同源、食べ物がその人を作る。

さて、その後、近くのカラオケボックスに移動し、さらにカラオケから参加のメンバーも加わっていざ、ということになったのだが・・・
2曲目にチャレンジしたJupiterで撃沈しました。
出だしはよかったのですが、その後ですね。
曲を聴いているだけ(+鼻歌程度)では駄目ということがよく分かりました。
鳴禽が歌を覚えるのには、感覚系(入力)と運動系(出力)の両方が必要ということを実感。

メンバーは20代前半から私までと幅広かったため、どのような展開になるのか私もドキドキしていたのだが、皆、選曲で意外な面を見せてくれて興味深かった。
また、「普段喋る声」と「カラオケで歌う声」はかなり別の制御であることもよく分かった。
みなさん、「こんな自分になりたい」願望などあったりするのかな?

で、痛感したことは、「古い記憶ほどよく固定化されている」ということである。
今回試しに、一番古いもので「瀬戸の花嫁」まで遡ってみたが、Jupiterよりははるかに歌える(泣笑)。
この場合の記憶はエピソードではなく手続き記憶ですが。
それから、カラオケでは曲を選ぶというステップが非常に重要であることは間違いないが、普段行きつけでないと「何を歌ったらよいか分からない!」
で、比較的ランダムアクセスしやすい「本」および、最近の賢いコントローラで検索をかけるのだが、はて、「歌手名」も「曲名」も分からない場合に、どうしたらよいか? で30分以上の時間を費やした。
確か、歌詞に「家」とか「子犬」とかが出てくる・・・
歌っていた女性歌手の顔や声はなんとなく思い出せるのだけど、名前が分からない。
はてさて、どこから検索してよいものやら・・・
75年のヒット曲にも無かったし。
「小林明子」(代表曲は「恋に落ちて」)のところでしばし悩んだのだが、そこにあるいくつかの曲名はどうも違う・・・

これを読まれて「あなた」(小坂明子・1973年のヒット)をすぐ連想できた方は素晴らしい!
きっと40代でしょう。
今回は結局、曲名を「愛」などから順にしらみつぶしに探して、たどり着いた次第。
いや、「あ」で始まる曲で本当によかった。

*****
ところで、iPodに300曲くらい入れるようになってふと気になったことがある。
ヒトの頭には何曲くらい入るのだろう?
完璧に再生できないけど「以前に聞いたことがある」曲は膨大な数に及ぶはずだ。
曲名まで知らないコマーシャルの繰り返しのメロディーなんてものもあるし。

きちんと再生出来るわけではないことを考えると、きっと、とても断片化して、タグが付いたような感じになって仕舞われているのだろうか?
一度聞いたことのあるメロディーは、楽器が違っても「あの曲だ」と分かるのだから、ちゃんと要素は残っているということだろう。

新しい歌を覚えられないのは、古いメモリを書き換えることが難しいからなのだろうか?
たくさん新しい歌を覚えようとすることは、脳のメモリをそういうところでひたすら使ってしまうことになるが、大丈夫なのか?
同じようなことは、絵画だったり、本だったりの場合もあるだろう。
「この絵は見たことがある」かどうかは、見ればすぐ分かるし、「この本は読んだ」かどうかは、本の題名だけでは分からなくても、少し文章を読めば思い出す。
うーーん、本当に、ワタシのメモリ、まだ余裕あるのだろうか?

これが心配になるのは、私の場合、記憶のかなりの部分が「画像」になっているように思えるので、つまり「テキスト」よりも大幅にメモリを食っている気がするからだ。
知り合いの先生で、プロ野球選手の所属チームの変遷や、出身高校まで覚えている方がおられるが、きっとこういう方はテキスト化されてデータベースになっているのだろうと想像する。
こちらは、「手帳をどこに置いたかしら?」と思い出すときに、ちょうどビデオカメラで室内を撮影しているような様子で、それを時間の断片ごとに再生する(必要に応じてズームインできる)。
あるいは、関係のある論文がCellなのかDevelopmentなのかは、タイトル部分のデザインで記憶しているし、何年のものだったのかは、自分が手入力したreferencesだったら、Hill et al., Nature, 1991のように著者名、雑誌名、数字が頭に焼き付いている。
(最近のPubMedからEndnoteへのコンバートなどでは、手を動かさないので覚えられないが)
この画像化は「ヒトの顔の記憶」とは独立なようで、1年で300枚名刺が無くなるくらいの人に会っているはずだが、こちらは一向になかなか覚えられない。

コンピュータのように「現時点での脳メモリ使用量/残量」が分からないものか・・・
by osumi1128 | 2006-09-24 23:06 | 雑感

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