言語科学のモデル動物
2006年 10月 15日
昨日は午後から北米神経科学学会の初日で、Congress Centerに出向いた。
ホテルからまっすぐの道だったので、学会のシャトルバスは利用せずに歩いた。
辺りには、同じ目的地を目指す雰囲気の方々(つまり神経科学者)が歩いているので、なんとなく、同じ方向に向かえばよいのだろうと踏んで、安心して歩いた。
そうでなければ、見知らぬ土地を一人で歩く、というような探索行動は取らないのが普段の私である。
午後のMIni-Symposiumでは言語科学をモデル動物で扱おうというセッションに参加した。
数年前に、発話・言語障害のKEファミリーという家系の遺伝学的解析から、FOXP2という遺伝子が原因の候補遺伝子として浮かび上がった。
意外なことに(発生生物学者の私の目から見たら意外ではないのだが)、FOXP2は転写制御因子という、他の遺伝子のスイッチを入れたり切ったりする役目のタンパク質を規定する遺伝子であった。
これが、例えば、神経細胞間のシナプスで働くような、細胞機能に直結したタンパク質を規定する遺伝子であったら、話は非常に簡単で分かりやすかったのだが、そうではない。
しかも、解き明かしたい生命現象は「言語・発話」であり、例えば癌や代謝疾患のように、単純にノックアウトマウスを作ればよい、というものでもない。
昨年、「言語科学の百科事典」に分担執筆する際にFOXP2について調べた限りでは、FOXP2の発現が運動の制御に関わる脳の領域に見られることが、マウスや鳴禽で分かったくらいで、まだ取り上げるべき機能解析には至っていなかった。
言語学の専門家も、遺伝学の専門家もお手上げかなと危惧していたら、しっかりと時代は動きつつあることを、今回のミニシンポジウムから感じた。
FOXP2の同定に貢献したオックスフォード大のSimon Fisherは遺伝学が専門だが、(Welcome Trustからかなりの援助を得て)分子・細胞レベルの研究を展開しつつある。
こちらは直接、言語機能との関わりにたどり着くには時間がかかることは確かだが、基礎研究としては非常に大切である。
UCLAのGeshwindは、進化的な観点で、例えばチンパンジーとヒト遺伝子のメタ解析などを行っているらしいが、ゲノム科学的アプローチにより、FOXP2の標的遺伝子を網羅的に解析・比較することにより、どのような遺伝的プログラムが言語獲得に関わるかを解明しようとしている。
ヒトの言語学習のモデルとして、鳴禽(ゼブラフィンチやジュウシマツなど)が用いられているが、ベルリン自由大学のSharffは、ゼブラフィンチを用いてFOXP2のRNA干渉による機能阻害にチャレンジしていた。
本来FOXP2が働いているAreaXという脳の領域に、ウイルスベクターに乗せたRNA干渉型FOXP2を注入し、歌学習に与える変化を見ている。
まだ、コントロールの取り方などでツメが甘いのではないかと思ったが(破壊実験は簡単である)、こういうチャレンジングな取り組みがちゃんと行われていることを知って嬉しかった。
ミニシンポジウムのオーガナイザーでもあるUCLAのStephanie Whiteは、歌学習に伴い、FOXP2の発現がどのように変化しているかを見ていて、上記と矛盾するように思ったが、歌わせた2時間後の脳のAreaXではFOXP2の発現が低下しているというデータを披露していた。
これらの矛盾については、きっと解析が進むにつれて真実が浮かび上がってくるだろう。
最後の演者はWashington大のHolyで、彼はマウスも歌うということを示して、1年前に話題になった。
実際は「超音波」の音域なので、ほとんどヒトの耳には聴き取れないくらいなのだが、コンピュータ処理をすると、確かにsong birdのようなフレーズをもっている。
実は、1877年(!)のNatureにはSinging Mouseという論文が投稿されているらしく、これは是非手に入れてみたいと思ったが、業界の中で埋もれていた研究の再発見という意味では、メンデルの法則のような事例である。
実際、彼はまだ研究の基礎段階で、マウスの系統による歌の差や、ましてやノックアウトマウスでどうなるかなどは調べていないのだが、発表の後には非常に沢山の質問が来て、皆の期待と関心の高さが伺えた。
このミニシンポジウムではどの講演者も未発表データを惜しげもなく示し、突っ込んだ議論がなされていて心が安まった。
昨今の分子レベルの生命科学では、やれ特許だ、やれ論文投稿だ、で、発表の中身はin pressになったものというつまらない状態に陥っていることが多い。
(これは、論文受理までに2,3人の査読者をクリアーすればよいことを意味するので、論文捏造の温床になっているのではないかと考察している)
ここではまず専門家同士、コミュニティーの中で議論があり、きっとその上で論文という後世まで残る形になっていくという、科学の作法の本来の姿が見られたように思う。
私自身は言語科学の専門家とは言えないが、言語には非常に興味を持っており、時間のあるときには関連書籍を読んでいる。
自分が大学や大学院への進学を考えるような時点では、言語のような問題を「理系」で扱うことなどできないと思っていたが、四半世紀の間にこの進展ぶりである。
思いは通じるもので、日本での鳴禽研究の第一人者である理研の岡ノ谷さんとお知り合いになったことがきっかけで、上に述べた百科事典の分担執筆の機会を頂いたのだが、さらに最近、重鎮の長谷川寿一先生からもFOXP2について1章分くらいの分担執筆を依頼されたところである。
私のような者にお鉢が回ってくること自体は日本の言語学研究のいびつさを表しているともいえようが、これらの方々が広い心で、業界外の人間にが参入することを認めて下さったことは素晴らしい。
たぶん、裾野の広い科学コミュニティー醸成で大切なことは、セミプロ〜アマチュアレベルの人たちの存在ではないだろうか。
例えば音楽や絵画であれば、後世まで名が残る超専門家のトップから、普通のプロフェッショナルな集団、批評家の方々、プロの仕事を理解して楽しむことができるセミプロからアマチュアの多くの方々までが、途切れのないコミュニティーを形成している。
生命科学の分野では、プロの集団がアマチュアから浮いている状態になっていることが大きな問題ではないかと思う。
これは、いわゆるウェットな実験がどんどん高度化し、高額機器の具備が必要条件となり、必然的にお金のかかるものになっていったことに大きな原因があろう。
現在、ボランティアベースの理科実験のデモや、さまざまな科学コミュニケーションの機会が増えつつあるが、大事なことは、「アマチュアだけど好き」という人たちを増やし、そういう方達が最先端の知見に触れる機会を増やすことだ。
もしかしたら、最先端のシステム生物学やゲノム科学のようなドライな分野では、セミプロの人たちがどんどん参入できるかもしれない。
それなりの知識とコンピュータがあれば、論文として公表されているデータベースを元にしたメタ解析も可能なのではないだろうか。
昆虫採集を趣味とする方が新種の発見を報告されるように、在野のアマチュアが専門誌に投稿してもよいはずだ。
大切なことは、そのときプロ集団がアマチュアにも門戸を開放することである。
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昨日はセッションが終わってから、日本人24名でストーンマウンテンのレーザーショーを見にいくツアーに参加した。
音頭を取って下さったのは京大のMさんだが、彼はさりげなくこういうボランティア的精神を発揮してくれるのが頼もしい。
ちょうどハロウィーン間近の週末とあって、家族連れでかなり混んでいた。
アトランタはCNNとコカコーラの街であるが、1リットルくらいのコーラを毎食飲んでいたらこうなるであろうという体型の人たちが非常に多い。
たぶん、日本人はあそこまで行く前に糖尿病になると思われるが・・・
さて今日は朝8時からのSlideセッションがあるのでこれにて。