理学研究科大学院GP「科学基礎論」講演会

お誘いを受けたので、理学研究科の大学院GP「科学基礎論」の講演会を聴いてきた。
ところで、この大学院GPの「GP」が何の略称なのか、何度聞いても覚えられない。
そういう略称はどうかと思うが、それより何より、こうやっていろいろな講演会をするのは良いのだが、いろいろな企画を生みだすために、教員はますます疲弊していく。
全国でこういうことを展開したら、日本全体で沈没することにならないのだろうか。

本日の講師は岡山大学大学院環境学研究科教授の津田敏秀氏という方で、疫学がご専門のようだ。
「科学者の科学音痴ー科学者にとっての哲学とは何か」というタイトルが魅力的だったので参加したのだが、講演を聴いた印象は(今の言い方で)ビミョーという感じだった。

水俣病が感染症ではなく、メチル水銀による「食中毒」であり、それにも関わらず、一般の食中毒とは同じように扱われず、保障がからんで「認定」される、されない、などの問題が生じたことは、確かに「病気の原因を見つけること」と「その病気を防ぐこと」の次元が異なる例としては適当である。
メチル水銀を含む魚を食べなければ、水俣病にはならない。
したがって、政府はさっさと「水俣の魚を食べてはいけない」と禁止するべきだった。

病気の発症に関して、基礎医学者は、細胞レベルや実験動物レベルの研究を繰り返し、そのメカニズムを明らかにしようとする。
津田氏によれば、このような行為は以下のように批判される。
私たちはヒトにおける健康影響を見ているのであり、動物への影響を見ているのではない。
メカニズムは大体は神話、学者の自己満足


ことがヒトに関すると、あるいは究極には、「自分」だったり「家族の誰か」だったりした場合には、一回性が非常に大きな問題となることは確かだ。
何が原因で癌になったのか、この抗ガン剤は自分には効くのか?
こういう場合には、統計的推測も意味をなさないことが多い。

ヒュームの問題やらジェームズのプラグマティズムやらの話題も出たが、結局、「科学者にとっての哲学」が何なのか、私にはあまりメッセージが伝わらなかった。
仕方ないので、その場で著者割引で売っておられた本を購入して、それを読んでもう少し考えてみることにした。

唯一賛成できたのは「研究は肉体労働か?」というスライドで、手を動かすだけではなく、考えること、読むこと、書くことの大切さを訴えておられた。
このあたり、実験系研究者には悩ましい課題である。
ブレの少ないデータを出すためには、コンスタントに実験をして、職人的になることが明らかに大切である。
ただし、ベンチワークだけしていても駄目で、クルマの両輪のように、デスクワークと並行してできるのが理想。
ところが、ビギナーは、「クルマの両輪」というのが、ちょうど自転車の前輪と後輪の関係のようになってしまって、しかもそれらが反対方向に回ったりすることになる。
ムズカシイ。

*****
毎日新聞の発信箱11月1日付けに元村さんが高校の未履修問題を取り上げておられた。
改革で大変なのは大学の先生だけではなく、高校の先生方も同様である。
その皺寄せがどこにいくのか、自明なことであろう。
「教育再生」でとっぴな改革案などが出てこなければよいのだが。
丁寧に、愛情を持って生徒・学生に接する、その基本が守れないほど教師が疲弊したら、日本は沈没する。
Commented by ちくわ at 2006-11-02 11:58 x
津田さんの本を私も読んだことがあります。
その中で、例えば喫煙と発ガンの因果関係が「証明されていない」という意見は疫学的にはおかしい、という話があります。これを含め、一般に「発癌物質」の人における発癌との因果関係は、十分なサンプル数があれば疫学的に証明でき、発癌との関係、という部分に絞ればそれで十分、という意見は私自身は納得できます。
 それでも「直接的な因果関係が示されていない」などという人がいたりするわけですが、じゃあ何を示せば直接的な因果関係を示したことになるのか、ということになります。メカニズムにこだわるのは学者の自己満足、という部分は刺激的な発言かもしれませんが、疫学的にわかっていたことの分子機序を解明することというのは、学問的意義、あるいはそこから派生する臨床的意義が期待できるとしても、当該の発癌機序に関しては疫学的にわかっていたこと以上の利益を人々にもたらすことはたいへん難しいのではないでしょうか。
Commented by qsat at 2006-11-03 00:30 x
実際の場面では目的志向の考え方が原因志向の考え方に優先する場合がいろいろあると思います。自然環境の改変が行われる地域で生態系の保護すべき点が証明されるまで保護する必要はないとか、逆にすべて分かるまでちょっとも改変すべきでないというのは、ほぼナンセンスです。改変の影響をモニターしながら柔軟に保護・保全を考えるというのが「順応的管理」として方法論になりつつあります。二酸化炭素(や他の温室効果ガス)濃度増加による地球温暖化の「直接的因果関係」、いわば証拠は依然として見つかっていませんが、それがために「温暖化対策は必要ない」という意見はまじめに採り上げられません。これまでの気候変動の事実から、地球温暖化がもし起こっている場合、対策に何世代にも渡る長期間が必要ということが十分に推定できるからです。いずれもすべてのことを知ることができない人間が事実と経験に基づいて最適な判断を行うための智慧だと思います。原因追究に走りがちな科学者は判断を行う人に対して余計なことをしないように絶えず注意する必要があると思います。
Commented by osumi1128 at 2006-11-03 16:09
ちくわさん、コメント有り難うございました。
私自身は大規模な疫学調査や、コホート研究はとても大事だと思っています。でも、新しい治療法を開発するのに、動物を飛ばしてヒトに応用するのは、やはり心理的な抵抗がありますね・・・ 「疫学的にわかっていたことの分子機上を解明する」ことが「疫学的にわかっていたこと以上の利益を人々にもたらす」ことにならないのでは、という批判はたいへんもっともだと思うのですが、何か「しょぼん」としてしまいます・・・ どう反論したらよいのか、よく考えてみたいと思います。
Commented by osumi1128 at 2006-11-03 16:12
qsatさん、こんにちは。
「原因追及に走りがちな科学者は判断を行う人に対して余計なことをしないように絶えず注意する必要がある」という点を、よく噛み締めたいと思います。
Commented by hal at 2006-11-03 18:30 x
疫学的な結論だけでは、避けるという以外の予防策や治療策は出てきません。「派生する臨床的意義が期待」するのであれば、機序を明らかにすることは必ず必要です。
一方で、被害を最小限に食い止めるために、水俣病でも地球温暖化でも暫定的な処置として「判断を行う」必要があります。しかし、このことと同時並行に因果関係を明らかにして、その処置が正しいのかどうかを常に検証していうことも必要です。どちらも車の両輪のように大切なことなのです。
Commented by MANTA at 2006-11-03 20:52 x
「原因追究する人」と「判断を行う人」が車の両輪になっていればいいのですが、実際にそうなっていないことが問題のように感じます。両者の交流を進められればよいのですが…私も私なりの努力したいと思います。

みなさんまじめなコメントなので恐縮ですが、、大隅先生の「研究ビギナーの両輪が互いに反対に回っている」という表現に苦笑。あるいは左右の車輪の大きさが違うので、同じところをぐるぐる回るだけなのかも。。。
Commented by osumi1128 at 2006-11-04 18:20
halさん、仰る通りです。
ただ、「機序を明らかにする」際に、どうしても細胞を使った実験や、動物に投与したりしますよね。それでは意味がないのでは?という批判に対してどのように答えられるかを考えているところです。
実際、サリドマイドという薬は齧歯類では催奇形性はなかったのですが、マタニティーブルーの妊婦さんに投与され、アザラシ症の子供が生まれてから、慌ててサルで実験してみたら再現された、ということがありました。
Commented by osumi1128 at 2006-11-04 18:22
MANTAさん、原因追求する人と判断する人のコミュニケーションというのは、非常に重要な問題だと思っています。
左右の両輪の大きさが違うと、同じところをぐるぐる回る、という比喩、今度使わせて頂きます!
Commented by MANTA at 2006-11-05 20:06 x
ありがとうございます。左右の車輪の大きさがそろっているほど前に進む、というのもミソです(苦)。元はといえば大隅先生の記事に触発された産物、私もどこかで使わせて頂きます。
by osumi1128 | 2006-11-02 01:08 | 東北大学 | Comments(9)

大隅典子の個人ブログです。所属する組織の意見を代表するものではありません。


by osumi1128
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