沢柳政太郎先生

土曜日、東京でCREST脳学習領域の公開シンポジウムが開かれました。
残念ながら午後に仙台で用務があり、一つ目の北澤さん(順天堂大)のお話のみ聴いてきました。
タイトルは「自閉症の治療に挑む心理学と脳科学」ということで、以下のような研究の内容についての発表でした。
応用行動分析による発達促進のメカニズムの解明
自閉症に対して、応用行動分析を用いて早期集中介入を行うと、通常の社会生活ができる迄に「回復」する症例が報告され、注目を集めています。本研究では、応用行動分析による自閉症治療法を脳科学的に検証する一方、同じ手法を適用したサルに生理学的研究を行い、応用行動分析による発達促進の脳内メカニズム解明を目指します。その成果は、自閉症の効果的な治療法、更にはより一般的な発達障害予防法の開発に繋がることが期待されます。CRESTのHPより

「応用行動分析」という心理学的治療方法について、どういうものであるかビデオ等で説明されてよく分かりました。
米国のLavaasという方が開発されたのですが、 自閉症の患児に対して、心理療法士か療育者の方なのでしょうか、数名が付いて、週30-40時間のトレーニングを行うと、約半数の患児が小学校の普通学級に進学できたということです。
週40時間のトレーニングということは、つまり、普通の人の労働時間に相当する訳で、並大抵のことではありませんね。
しかも、課題をうまくこなせたときには、褒めちぎって高い高いまでして、周りの療育者の方も大きな拍手をして声をかけてあげる、というエネルギーのかけかたなのです。
これは、非常に大変なことですね。

*****
午後は、東北大学出版会の10周年記念講演会で話をしました。
開始30分以上前に会場に行き、「コンピュータのセッティングはどうしたらよいですか?」と伺うと、「え? あ、では、そのように準備致します」と、行き違いがあった模様。
セッティングと動作確認はOKで、理事長のH先生のご挨拶により会が粛々と始まり、さて、前座として私の話となったのですが、スクリーンに映らない!!!
にこやかに「あ、何か調子が悪いようなので、ちょっと調整し直します」と言いつつ、内心、かなり焦る。
「この後の新田先生とは違って、私どものようなバイオ系の研究者は、スライドのようなものがないと恥ずかしくて喋れないのです・・・」などと言って間を持たせつつ、PowerBookをいろいろいじるが反応無し。
仕方なくリセットすると、会場に、あのMacを立ち上げるときの和音が大きく響く……。
しかも、この間、カメラマンさんがひっきりなしに写真を撮っておられる。
後で、報告書のようなものを作成するのに使いますから、と事前に主催者からは言われていたのですが、被写体がマズイと、きっと良い写真は天文学的確率でしか撮れないのでしょう。
この状況では、でも、引きつったような表情しか撮れなかったのではと察します。
さて、立ち上げ直してよくよく見ると、どうもコネクタがきちんと接続されていないような雰囲気が。
リハーサルをした後、一端会場のセッティングの都合でコンピュータの場所を変えたりしたせいで、コネクタが緩んでいたのでしょう。
やれやれ……、これで大丈夫、という訳で、「父親譲りの本の虫」というタイトルのトークの出だし5分ほどは悲惨な状況でした(涙)。
まあ、父がクジラの研究者で、母は酵母菌の研究者、私は間をとってネズミを使って研究しています、などという話でつないでいたのではありますが(汗)。
本当に、文系の方のように、スライド無しで喋る訓練もした方がよいかしらん、と真剣に思いました。

その後、新田義之先生(東大名誉教授)の「東北大学の学風を創った人々」というお話を伺う。
新田先生は、東北大学の初代総長のことを扱われた『澤柳政太郎』という御著書もおありで、ご自身の比較文化、文学のご研究にあたり、東北大学設立時の諸先生方の薫陶を受けられたということです。
この『沢柳政太郎』という題名には副題が付いており、それは「随時随所楽シマザルナシ」
うーん、座右の銘にしたいような言葉ですね。
この沢柳政太郎(さわやなぎまさたろう)という初代総長は、開学に当たり「門戸開放」というというポリシーを打ち出した方で、そのために1913年に日本で初めての女子学生が東北大に入学したという経緯があります。
ちょっと調べますと、和光大学の学長の方の新入生への訓話「沢柳先生と和光のつながり」(昭和49年4月)というサイトを発見しました。
それによると、沢柳先生は、東大を出て文部省の役人になり、二十代のときに群馬県立前橋中学校の校長、その後、仙台の第二高等学校の校長、東京の第一高等学校の校長などを務めたあと、文部省に戻ります。
33歳から10年の間学務局長を務め、当時の小学校の義務教育の無償化や、4年への期間徹底などの改革を行ったようです。
また、当時の小学校では「隊列運動」という体操をしていたというのですが(男子のみ)、「小学校から軍国主義を勉強するとはとんでもない」といって、教練を廃止するということも行われました。
とにかく、初等教育を重視しておられ、「自分で本を読み、自分で研究をする、沢山の知識を覚えているのではなく、自ら学び、自ら研究をする姿勢というものを小学校の時代からしっかり敢えておけば、あとは自分でやるだろう、大学なんていうものは図書館さえあればいい」というようなことを述べられたそうです。
さらに文部次官になると、義務教育を4年制から6年制に変えました。
その後、当時、東大、京大に次いで3番目の帝国大学として東北大学を設立するということで、初代総長になられた訳です。
良い教授を抜擢する努力もされ、当時ドイツのアインシュタイン博士を連れてくる話がまとまりかけていたところが、ベルリン大学の方のオファーがあり、まとまらなかったそうです。
2年間、東北大学初代総長として創立に力を注がれた後、京都大学の総長となられました。
ここでも大学刷新のためにトップダウンの人事を行おうとして、7人の教授を解雇したことにより、京都大学を追われることになるという「沢柳事件」というものも起きたようです。

なかなかドラマチックな人生ですね。
人には、制度などを作るところに情熱を注ぐタイプと、できた制度を運用することに向いているタイプがおられますが、沢柳先生はまさに前者だったようです。
新田先生の御著書は是非読まなければと思いました。

*****
10周年のお祝いの会だったので、懇親会では鏡開きがあり、赤いはっぴを着て、日本酒「勝山」の樽の蓋を叩いて割りました。
「サンタクロース」みたいな格好でした(笑)。
by osumi1128 | 2006-12-11 00:32 | 東北大学

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