タイムマシンがあったら
2007年 01月 30日
とってーーも快適です!!!
ヒトの目は横の方が動きやすいので(だから映画はとても横長のフレームなのです)、縦に大きな30インチモニタよりも、横置き2台の方がはるかに便利です。
仕事柄、MacProとともにPowerBook12を同時に動かしているので、その中身もモニタに映しておいて、MacProとの間でファイルをコピーしたりするのが、非常に楽になりました。
また、書類フォルダに膨大なファイルを抱えているのですが、その中身も横に置いて見られる状態で新しい文書等を作成するので、かなりストレスが減りました。
もっと早く変えればよかったかも……。
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ところで、皆さんはタイムマシンがあったら、どんな時代に行ってみたいですか?
私は真っ先に挙げたいのは、「モーツァルトが現役の頃」です。
あの珠玉の数々の曲が発表されるのを順にリアルタイムで聴いてみたいなあと思うのです。
現代の人間にとっては、もはや「古典」になってしまって、すべて「過去」のこととして扱われている訳ですが、それらが次々と「新作」として演奏された時代が現実にあったことは間違いなく、そのとき人々はどんな風に受け止めたのかなと思うのです。
とりあえず、ピアノではなくてハープシコードの方が主流だったでしょうから、今聴いている音とはかなり違うかもしれませんが。
あるいは「紫式部が現役の頃」も面白そうです。
源氏物語が順々に発表されるのを、「毎月配本」のような感覚で読むって、どんな気持ちがするのでしょう???
シェイクスピアの戯曲でもよいですが。
自分の性格を考えると、きっとはまってますね。
(ただし、「現代日本語訳変換装置」を持ってタイムマシンに乗らなければなりませんが)
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今年の春でうちのラボは9年目に突入します。
ラボ自体も「生き物」だと思えるのですが、そうですね、全体としては小学校低学年の子供のように、いろいろなことに興味がわいている段階でしょうか。
あるいは、フェーズとしては第3期となっていて、今年刈り取りの時期を迎えている成果がいくつもあります。
同時に、次の「芽」が大きく育ちつつもあり、一生懸命、肥料をやったり水をあげたり、忙しいですが、やりがいがあります。
生物学でサイエンスをしていて、震えるような感覚を持つのは、「しっくりくる」仮説を見いだすときです。
きわめてシンプルな仮説が、広い事象を説明できるとき、それはきっと真理にもっとも近いのだという直観を持ちます。
ただし、現代の生物学は「実証科学」の範疇に属するので、仮説を証明してナンボ、という現実が待ちかまえています。
したがって、とても大事なことは、「美しいシンプルな仮説」をいかにして、証明可能な「作業仮説」に落とし込むか、ということになります。
そして、その仮説が検証できるか、順次、粛々とデータを取っていかなければなりません。
先日、ノーベル医学生理学賞を受賞された、リタ・レヴィ=モンタルチーニの自伝の翻訳『美しき未完成』(藤田恒夫・曽我津也子・赤沼のぞみ訳、平凡社、1990年刊行)をAmazonの古本でゲットし(廃刊になっていたため)、読み始めたところなのですが、なにせ、第二次世界大戦の頃のイタリアにおけるユダヤ人迫害の話が前半にかなり盛り込まれていて、現代に近づくほどに知識が乏しい(歴史の教え方のせいにしてはいけませんが)ために、かなり読みにくい本です。
でも、「いかに困難な状況にあろうとも、情熱と完全な献身こそが最高の報酬をもたらしてくれ、挑戦に満ちた愉しい人生を与えてくれる(日本語版序文より)」ということをレヴィ=モンタルチーニが伝えたかったことはよく分かります。
途中で迷っては駄目なのです。
自分が解き明かそうと思う仮説を信じて、そこに全身全霊傾けられることこそが、真理への近道といえます。
この本を読んで、とてももったいない、と思いました。
というのは、この本を例えば今、女子高校生が読んで感動するかどうか、ちょっと疑問だなと感じたからです。
きっと、誰かが「レヴィ=モンタルチーニ伝」を書かなければいけないのだと思います。
ユダヤ人迫害は歴史的に重いことで、その事実を覆い隠すことはできませんが、そのトーンを若干弱めて、でも、戦争当時に、自宅の寝室を研究室として、孵卵器、加温器(パラフィン包埋用)、ツァイスの顕微鏡、そしてピンセット等の器具さえあれば研究ができ、ニワトリ胚の運動神経の成長を観察して、ノーベル賞につながる「神経栄養因子」のヒントを得たということは、誰かが語り継がなければならないのではないかと感じます。
このブログを読んで下さっている科学技術コミュニケーターの皆さん、どなたかそういうチャレンジをしてみたいと思いませんか?