どうしたらエコ・ライフか?
2007年 01月 31日
「あるある云々」のケースと同様に、私としてはある面「どうせ自民党国会議員のオジサンなんて、公衆の面前で言うか言わないかは別として、腹の底では似たり寄ったりだろう」と思っているので、目くじらを立てるつもりはなく、また、野党が格好の攻撃ポイントとしてそこを突くという政治ゲームも子供っぽいと感じるのですが、本当に今のところ辞めないのですね。
政治問題に口を出すのは好きではないのですが、ちょっと、あんまりだなあと思ったのでつぶやいてみました。
さて、5号館のつぶやきさんのところで詰替用カップヌードルというエントリーが立ちましたので、それに関連した話題提供。
ここしばらくコンビニに立ち寄っていないので、現物をまだ見ていないのですが、うちの学生さんからの話で、カップヌードルのチキンヌードル版というか、中身オンリーの製品が市場に出たということです。
で、「ちょっとエコ」という路線を狙っているらしいのですが、つぶやきさんのブログの写真を見る限り、「これでエコなんですか?」と、ちょっと力が抜けました。
だいち、「マイヌードルカップ」がプラスチック製というのは、いかがなものか???
私たちの研究室があるメディカルキャンパスは周りにコンビニが多数あるのですが、東北大学の青葉山キャンパスではこれまで「生協」という○○派の団体が占有権を主張して資本主義が到達しないエリアとなっており、その結果、学生さんは自主的にカップヌードルを「箱買い」してストックしていたそうです。
ちなみに、ここに市場原理が働くので、そのようなカップヌードルはときに、緊急にどうしても必要とする学生さん(明日まで貫徹でジャーナルクラブの準備をしなければいけない、など)に、原価の何倍もの値段で売られることもあったと聞いています。
ごく最近、確か、工学部キャンパスのどこかにコンビニが入ったと噂に聞きました。
コンビニという経営スタイルやそこで売られる商品が本当によいのか、という問題はあるのですが、青葉山のQOLは若干向上したと思われます。
現代日本社会において、どうやったらエコライフかという問題は、なかなか深遠です。
愛しのスタバでもタリーズでも、店内用のラテは陶器のマグカップで供されることが多いですが、持ち帰りになると発泡スチロール系です。
じゃあ、マグカップの方が環境によいかというと、リユースのために洗浄するには水とエネルギーを必要とします。
ちなみに、イギリスの学会では、ティーブレイクのカップは陶器であることが普通で、これは英国連邦関連の国でもそのようです(少なくとも、オーストラリアとシンガポールはそうでした。インドがどうだったか覚えていません。)。
あっちを立てればこっちが立たず・・・という連鎖の中に私たちは生きているのだと思います。
私の住まいでは、冬にオイルヒーターを使っていますが、二酸化炭素を排出しない、という意味ではエコですし、風や匂いが無いという意味で健康的なのでしょうが、明らかに高エネルギーです。
電子レンジなどを同時使用すると、しょっちゅうブレーカーが落ちるのですが、じゃあ、アンペアを上げれば・・・と何度も考えるのですが、そうするとさらに高エネルギー生活をしてしまいそうなので、そのままにしています。
(ブレーカーが落ちて家中まっくらになったときには、携帯電話のフラップを起こして、明るい画面を懐中電灯代わりにすると便利だと気が付きましたー生活の知恵)
うちの「こびとさん」(食器洗い機のこと)も、「水の使用量は通常流しで洗うよりも少ない!」ことを謳っていますが、でも「乾燥」時にはかなりの電気をつかっていますし、全自動洗濯乾燥機も高エネルギーですね。
やれやれ、どうしたものでしょう・・・?