柳沢発言とリタ・ レヴィ=モンタルチーニ

昨日、金曜日の朝カーテンを開けたら真っ白な景色で、このシーズン初めてまともな雪を見ました。
岐阜県の神岡というところまで出かけて、東北大学の「KamLand」というニュートリノ検出器を見学しに行きましたが、いわゆるビッグサイエンスというものがいかなるものかを目の当たりにした気がします。
生物系も同じように大きなお金を投資すれば「日本でしかできない一流のサイエンス」ができるのでは?と行政が考えたとしたら、それは大きな間違いだと思います。

新幹線の中で、厚労相の失言と国会の関係についてのテロップが流れていました。
Y先生のブログ産む機械発言、再考では、大臣の生物学的リテラシーが欠如していることが不適切な発言につながったではないか、と論じておられますが、私はそんな風には思いません。
この問題が、少子化対策として、「移民」を容易には受け入れにくい国民性の問題等があるのなら、現在日本にいる女性で子供を持つ可能性のある人口が決まっているのであれば、一人当たりの生む数が多くなるべき、という主張であったとして、それは確かにそうかと思います。
でもやはり、倫理的・人道的に使って良い言葉とそうでない言葉というものがある訳で、それは「生物学リテラシー」の範疇ではなく、「人間の尊厳」に対する意識やボキャブラリーなのではないでしょうか?
「母性」に対する敬意や暖かい気持ちがなかったら、子供を持ちたいという方々が「損をするだけ」のような意識になってしまうと思います。
人間、思ってもいないことが口から出ることはないと、私は考えます。

ところで、では、子供を持たない女性という生き方は否定されなければならないのか、というと、それも違うように思います。
そういう女性達が、産業界や文化面で大きな貢献をしてきたことは間違いありません。
今日のエントリーでは、そういう人物を一人取り上げようと思います。

*****
未だに、サイエンス分野における女性研究者のロールモデルというと「キューリー夫人」になってしまうのは、いくらなんでもいかがなものか、とここ数年考えてきました。
ノーベル医学生理学賞では、これまでに、バーバラ・マクリントック(1983年)、リタ・レヴィ=モンタルチーニ(1986年)、クリスチャネ・ニュスライン・フォルハルト(1995年)、そしてリンダ・バック(2004年)の4名の女性が単独(マクリントック博士)もしくは複数で受賞の栄誉に浴しています。

レヴィ=モンタルチーニ博士は神経成長因子(NGF)の発見で受賞したということで、神経発生の分野であって自分の研究に近いので、昔からとても興味を持っていましたが、先日、ようやく絶版になっていたその自伝『美しき未完成—ノーベル賞女性科学者の回想』(リタ レーヴィ・モンタルチーニ (著), 藤田 恒夫, 赤沼 のぞみ, 曽我 津也子 (翻訳) 、平凡社、1990年刊行)をAmazonで手に入れて読破しました。

ノーベル医学・生理学賞に輝いたイタリア人女性科学者の自伝。北イタリアのユダヤ人家庭に生まれ育った少女は、いかに科学者として成功をかちえたか。次代の人々にむけて,自己の体験と生きた時代を率直に回想した本書は,激動の世紀を苦悩と歓喜の交錯のうちに生き抜いた一人のユダヤ人、女性科学者の自伝としてたぐいまれな感動の記録であり、またイタリア現代史に接近するための恰好の書である。作家ナタリア・ギンズブルグ絶賛。(帯より)


前半はかなりユダヤ人迫害の話が多く、自分のバックグラウンドからは理解が及ばない部分も多々あったのですが、それでも、21歳で父親の反対を押し切ってトリノ大学の医学部に進学し、解剖学教室に出入りして研究を行い、そのときの師匠との出会いがその後に繋がったということはよく分かりました。
第二次大戦中に、寝室に、孵卵器、高温槽、ツァイスの顕微鏡などを置いた粗末な実験室でニワトリ胚を使ってさまざまな実験を行っていたという話は、先ほどの「ビッグサイエンス」とは好対照だと思います。

そんな時代に書いた論文が、アメリカはセントルイスのワシントン大学にいたビクター・ハンバーガー博士の目に止まり、やがて戦後に留学の機会を得ます。
(ちなみに、ニワトリ胚の発生段階を示したハンバーガー&ハミルトンのステージが掲載されている論文は、神経発生学の分野で今でも引用件数が最も多いものだと思われます)
ここで、リタは将来のノーベル賞へつながる研究を行った訳ですが、それは、決して、ロードマップに描かれたようなものではなく、ある研究者の実験を追試してみよう、というところから始まって、神経の突起が伸びる現象に必要な因子を同定するプロジェクトになり、スタンリー・コーエンという生化学者(ノーベル賞の共同受賞者)の協力もあって、ついにそのnerve growth factor活性を追いつめるのですが、さらに実は、その本体は活性を高めるために用いた蛇毒の方にあることに気付き、また、どんでん返しで、その活性は蛇毒でなくても、マウスの顎下腺にも存在する、・・・などのような紆余曲折を経て見つかったものでした。
(ちなみに、副産物として上皮成長因子EGFも同定されることになるとは、誰も思わなかったことでしょう)

リタは1909年にイタリア北部のトリノで生まれ、ワシントン大学に留学したのは1947年、つまり38歳のときでした。
その後のワシントンでの数年間の間に、もっとも実りある成果が出たということになる訳ですね。

この本の中には、自分自身の周りのことだけでなく、カハールとゴルジの論争(=ニューロン説vs網状説)もリアルタイムに近い頃に経験しておられるので、そういった、「神経発生学の歴史」について知るにも良い本だと思いました。
絶版になってしまったのは本当に残念です。

リタはまだお元気とのことで、昨年ヨーロッパで開かれた成長因子の国際会議にも参加されていたと聞きました。
やがて百歳に手が届くくらいのご高齢なので、なんとかしてご存命の間にお目にかかりたいものです。
いえ私が会うよりも、もっと若い世代の(とくに女性の)研究者が拝顔することができれば、きっと大きなインパクトなのではないかと考えます。

もう一つ、リタの自伝では自分の自慢話に相当するようなエピソードはほとんど出てこないというところが印象的でした。
先日来、購読している日経新聞の「私の履歴書」などでは以前から、もう自慢話のオンパレードなのですが、リタの自伝には、ユダヤ人迫害にあっても希望を失わなかったことが淡々と書かれているばかりです。
逆にNGF発見に至るエピソードは本当に生き生きと描かれてはいますが、終始、人生の師や良き友人・共同研究者との出会いとそれらの人々がどんなに素晴らしかったのか(あるいは、人間的にほほえましいところがあったか)に多くの文を費やしているのです。

たぶん、キューリー夫人以外にもロールモデルがあることを示すには、それを積極的に伝えるということを誰かがしなければならないのだと思いました。
by osumi1128 | 2007-02-04 01:03 | サイエンス

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