金子みすヾの詩の世界

先週金曜日、土曜日と、いわゆる「退官パーティー」(今は”退職”ですが)がありました。

金曜日は、加齢研の前所長でもあった帯刀先生の会で、記念講演の際に、先日の最終講義でも最後のスライドに使われた「金子みすヾ」の詩がやはり取り上げられました。
私と小鳥とすずと

   私が両手をひろげても、
   お空はちっとも飛べないが、
   飛べる小鳥は私のやうに、
   地面(じべた)を速くは走れない。

   私がからだをゆすっても、
   きれいな音は出ないけど、
   あの鳴るすずは私のやうに、
   たくさんな唄は知らないよ。

   すずと、小鳥と、それから私、
   みんなちがって、みんないい。
金子みすヾ童謡集「私と小鳥とすずと」より


帯刀先生は、最後の「みんなちがって、みんないい」という部分について、体の中には300種、60兆もの細胞があるが、それぞれに個性があり、それぞれが大切である、というお話をされていました。

とても美しい詩だと思ったので、ちょっと調べてみたところ、1903年、山口県長門市仙崎に生まれ、1930年に夭逝された方でした。
西条八十に見いだされてから数年の間に、500編を超える童謡詩を書いたそうです。

以下、金子みすヾWorldというサイトを読ませて頂いたのですが、
処女作は1923年に二十歳の頃、『童話』という雑誌に投稿したものでした。
お魚

   海の魚はかはいそう

   お米は人に作られる、
   牛は牧場で飼はれてる、
   鯉もお池で麩を貰ふ。

   けれども海のお魚は
   なんにも世話にならないし
   いたづら一つしないのに
   かうして私に食べられる。

   ほんとに魚はかはいさう。

このときの選者が西条八十で、独特の情味が絶賛されたことで、感激したみすヾはさらに詩作に励むことになりました。

彼女の生まれた仙崎というところは、かつて捕鯨基地として栄えた土地で、向岸寺というお寺には法名が付けられた鯨の過去帳が残っており、捕獲した鯨に胎児がいたときには埋葬したということです。
こうした鯨のための法要が鯨法会というらしいのですが、こんな詩も残されています。
鯨法会

鯨法会は春のくれ、
   海にとびうおとれるころ。

   はまのお寺が鳴るかねが、
   ゆれて水面(みのも)をわたるとき、

   村のりょうしがはおり着て、
   はまのお寺へいそぐとき、

   おきでくじらの子がひとり、
   その鳴るかねをききながら、

   死んだ父さま、母さまを、
   こいし、こいしとないてます。

   海のおもてを、かねの音は、
   海のどこまで、ひびくやら。


プライベートな面ではかなり苦労も多かったようで、そのために最後は睡眠薬を飲んでの自殺でした。
by osumi1128 | 2007-03-05 00:47 | 雑感

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