記憶のされ方

久しぶりに月曜日の掃除に参加した週の初め。
週の出だしに何か良いことをした気分で嬉しい(幸せの閾値は低いほど幸せという法則)。

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日曜日の日経新聞文化面に、鴨下信一氏による「記憶力」と題するエッセイが掲載されていました。
記憶力の良かった方として、小林信彦、淀川長治、安岡章太郎などの名前が挙がっていましたが、最後に向田邦子氏の記憶のされ方がご自分とは違う、と取り上げられていました。

向田邦子は幼少時に自分が直接見た<人間の行動>の記憶に優れていて、こちらは<自伝的記憶>と言われるのに対し、鴨下氏の場合には、本や映像などのメディアを介した記憶であり、これは<社会的記憶>と呼ばれるものです。
また、向田氏の記憶は<陳述型記憶>で文章のようになっているらしいのに対し、鴨下氏は「一瞬一瞬が写真のように焼き付く」記憶だと述べておられます。

実は向田邦子とは誕生日が同じなので、非常に気になる存在なのですが、私の記憶の仕方は、むしろ鴨下氏とまったく同じであると認識しました。
受験勉強など詰め込む際には、「あのノートの前から1/3くらいのところの頁の左上に書いてあったはず……」という<記憶のタグ>を頼りに、頭の中でズームインしていくと、そこに書いてあることが脳の一部に映し出される、というような感覚です。
忘れ物をしたときにも、「どこにあったっけ?」と、自分の頭の中で順にサーチカメラを回すような具合。
論文なら「ああ、それはHillらによる1991年のNatureに書かれていますね。」というのは、当時のNatureのタイトル・筆者・アブストラクトのあたりの画像とともにスラスラ出てくるのですが、1991年のいつ何をしていたのか、ましてや、自分の小さいときの記憶など、アルバムに残った姿以外、ほとんど残っていないのです。

世の中には、プロ野球選手のプロフィールが出身高校くらいまでしっかりデータベース化されている方などもおられ(おそらく、仕事関係の方についても、同様なデータベースになっているのでしょう)、それに比べると自分の記憶の仕方について、常々「脳のメモリを食って損」と思っているのですが、一体、脳の使われ方はどんな風に違うのでしょうね?
一次記憶の段階から違うのか、短期、中期、長期記憶と移る間の圧縮のされ方なのか、非常に興味のあるところです。

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ところで、土曜日のSTS学会では、科学における「不正」の問題を扱っていた訳ですが、しばらく前に瀬名さんが瀬名NEWSに書かれた研究者の作法を取り上げておきます。
by osumi1128 | 2007-06-04 22:53 | 雑感

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