科学を短歌によむ
2007年 10月 13日
健康雑誌等のメディア系の方々が多かった模様です。
キーワードとして、神経幹細胞、神経新生、遺伝子、環境、栄養などがありましたが、極力、専門用語を使わないで話すようにしました。
お陰様で主催者側からは、「参加者から<わかりやすかった!>というコメントを多数頂きました。普段はわざわざ、そういうことは言われないものなのですが」と言って頂きました。
実は、会場はかの東京ミッドタウンはサントリー美術館のセミナー室というロケーション。
講演2つに「アラキドン酸の多いレシピ」の試食会付き!
美味しいお料理+お菓子をケータリングして下さったwatoさんのブログで、雰囲気をご覧下さい。
さらに実は、この日、私のモチベーションを上げたもう一つの原因は、かの某週刊誌にOLネタでエッセイを連載されているSさんにもお目にかかれたこと。
「お父様が東北大の医学部でいらっしゃるので、是非お目にかかりたかったです! 連載、読んでいます!」と申し上げると恐縮されてましたが、とっても素敵な方でした。
機会を与えて下さった関係者の方々に深く感謝いたします。
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仙台に戻って、明日のシンポジウムの準備の確認やら、夏休み後の通称「アダルト・ミーティング」などを行いましたが、留守中届いていた郵便物の中に、『科学を短歌によむ』(諏訪兼位著、岩波科学ライブラリー136)がありまして、東京に戻る(どっちが<戻る>なんだか???)新幹線の中で読みました。
科学者の作った短歌を多数引用しつつ、「科学を短歌として気軽に読んで・詠んでみませんか?」という誘いとして書かれたものです。
著者は地質学がご専門とのこと。
取り上げられている方々には、湯川秀樹、石原純、そして斎藤茂吉(つまり、上記のSさんのおじいさま)があり、「おお、なんというタイミング!」と思ってしまいました。
茂吉先生は精神科医だと思っていましたが、この本の中では「脳医学者」として扱われています。
屈(かが)まりて脳の切片を染めながら通草(あけび)のはなをおもふなりけり
をりをりは脳解剖学書読むことありゆゑ知らに心つつましくなり
同様に「知」に対して謙虚になるという姿勢については、京大の永田和宏先生の歌にもみられます。
百余り文献をタイプに打ちており読み読みてわれの加うるわずか
科学は先人達の研究成果の上に成り立つもので、自分の行った貢献というのは、改めて論文原稿を読み返してみると、本当に僅かなものだ、ということは、常にしみじみと思います。
そういう科学者が多数いてこそ、画期的な発見にもつながるのだと考えます。
本書の最終章は「戦争と平和を詠む」というタイトルです。
ここまでいくつもの歌を読んできたが、はたと気がつくことがある。それは、研究に専念できるのは、世の中が平和であってこそということである。そこで、最後に平和を願って戦争や平和を詠んだ歌を紹介する。
作者にとっては3歳から17歳のときまで戦争が続いていたということで、その感覚はとてもリアルなものなのだと察します。
雨降れば雨に放射能雪積めば雪にもありといふ世をいかに(湯川秀樹)
これは1994年に行われたビキニ環礁の水爆実験後に詠まれたものです。
「2010年、脳コンピュータはあるでしょうか?」青年よ世界があるかまづ問へ(坂井修一)
坂井氏は東大の情報工学の方ということです。
本書の著者の言われるように「日記代わりに短歌を詠む」ことは難しいかもしれませんが、国際社会の中で、唯一の被爆国の国民、とくに科学者こそが平和の大切さを訴え続けることに、国としてのプレゼンスがあると信じます。
本書の「おわりに」では、著者が名古屋大学を退官後に勤務した日本福祉大学に在籍中に詠んだ歌を挙げておられます。
壇上に学生ひとり手話をなす熱き眼おおし入学の式
入学式の学長の祝辞が始まると、手話の得意な学生がそれを通訳し、さらに横のホワイトボードに、別の学生2名がそれを書き取る、という光景を目にしての歌とのこと。
障害のある学生も受け入れている大学ならではの暖かさですね。
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学生さんからの連絡によれば、投稿も一つ済ませることができたようで、心おきなくシンポジウムに臨めます。