遷宮と世界遺産

昔棲んでいた逗子の家は、元々は昭和初期の木造平屋で、和室には床の間があり、普通に掛け軸が架かっていて、それは季節ごとに取り替えられるものでした。
増築された客間が洋館で、典型的な和洋折衷でしたが、新聞に挟まれている広告などを見ますと、和室無しの間取りのマンションなどもありますね。
昨日、蔵王の方までドライブしたときに目にする住宅も、典型的な日本家屋というのは少なく、住宅メーカーのデザインが席巻しています。

たまたま、本日夕方に、とある研究所の先生が主催された会に参加して、そこにその先生のお客さんのオーストラリアの方(男性)がおられました。
「昨日は松島に行った。寺を観た。」と言うので、「神社等の入り口にある門(鳥居)は、一見、左右対称ですが、本当は違うのですよ。」
横にいたK先生も「日本人は<完璧>よりも<不完全さ>を好みます。なぜなら<完璧>は<終わり>を意味することになるからです。」という話をされました。
そのついでに、「すべてではありませんが、いくつかの神社では、数十年ごとに建物を建て替えます。それは、大工の技術の伝承のためなのですが、そのせいで、千年以上前からの古い神社も世界遺産として登録されないのです。」ということも話しました。
いわゆる伊勢神宮、住吉大社、春日大社等々の建物に関わる宮大工の話など、もっと詳しく話すべきだったのですが、毎年どこかのお社の立て替えをし、日本の数カ所を回れば、宮大工の親方からの技術が途絶えることなく伝えることが可能だと聞いたことがあります。
「何故そうするのだ? 古い方がいいじゃないか?」と言うので、「それは、そういう文化もあるのですが、日本では必ずしもそうではありません。日本には<畳と女房は新しい方が良い>という諺もあります。」と口が滑ると、横にいたK先生は「そんなことまで言わなくても……。」という顔をされていました。
本当は、「もしかすると、そういう<新しいものを好む精神性>とロリコンも関係があるかも」などという文化論も展開してみたかったのですが。

少なくとも、お正月ごとに何かをあらためる、のが好きな日本人は、毎年、ちょっとずつ書式が違う科研費の書類などについても、さほど大きな文句にはならないような気がします。
(今年は、冒頭に「要旨」を書くように、という指示がありましたね。あんな小さな字で書かれたものは、不動産屋や証券会社の書類のように、「そこは読むな」的印象なのですが、それでは駄目で、隅から隅までちゃんと読んだ上で書かないといけません)
NIHの書類などは、そんなに細かくは変わっていないでしょう。
そもそも、「枠」など無いのが欧米式の申請書です。
(ヒューマンフロンティアの申請書は、さすが出資の大半が日本だけあって、日本式の枠が評しの頁にありましたが……)
枠が無ければWordで苦労する頻度も減るはずなのですね。
仕事を皆で減らして、楽をして、その分クリエイティブなことをしよう!という発想にどうしてならないものかと思います(溜息)。
by osumi1128 | 2007-10-22 23:51 | アート

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