お茶の世界

興味はいろいろ広いのだが、「趣味は?」と聞かれたら「お茶です」と答えている。
(もちろん、煎茶でも紅茶でもウーロン茶でもなく、「裏千家」という流派の茶道)
始めたのは比較的遅くて20代後半だが、結構性に合っている。
今は二人目の先生で、都立大(東横線沿線の駅という意味)までお稽古に行く。
流石に仙台からだと毎週通う訳にはいかず、最近は忙しくて月に1度程度になってしまっている(涙)。

さて、何故お茶が好きなのかについて分析してみた。

1.季節がある
実験材料として「季節モノ」(例えばウニとか)を使う研究者は別として、私たちのように年がら年中同じ(ように見える)マウスやラットやニワトリやウズラを使っていると、研究そのものには四季はない。
お茶の世界では、まず大きく「風炉」の季節と「炉」の季節に分かれ、さらに月々でも趣向がある。
床の間に掛けられるお軸やお花、お茶と一緒に頂く和菓子だけでなく、お点前の種類もいろいろ異なる。
したがって、「1年に1度だけしかお稽古できないお手前」などが存在する。
なかなか「年に一度」というレベルのことは覚えていられないものだが、でも「ああ、また初風炉の季節だな」とか「今日は葉蓋のお点前なんだ」と季節を感じることがとても嬉しい。
地球という環境に生まれた生物として、一日のリズム、月のリズム、四季のリズムというのは大切なことなのではないかと思う。
夜も明るいコンビニが開いていたり、冷暖房完備の中で暮らしているというのは、自然の摂理に反することだ。
(と言いながら、コンビニは利用しているし、冷房もなるべく避けてはいるが無かったら辛い)

2.合理的かつ美的である
これは習ったことのある人にしか分からないが、お点前は実に合理的に組み立てられている。
そもそもお茶というのは「一服美味しく頂いてもらう」のが真髄であって、細かい約束事などはなくても良いのだが、一服のお茶を美味しく点てるのに、どういう順序で道具を使えば理に適っているかを先達が考えられた。
さらに、道具はどのように配置すると合理的で美しいか、どのように扱うと所作が安全で無駄なく美しくなるかという点についても心が配られている。
道具の配置は重要な点であり、実験室に学生を探しに行き(たいてい探すときにはいない)、ベンチの上が破滅的状況の場合に「片づけましょう」とメモを残す。
この場合の「片づける」というのは、適当に仕舞えばよいのではなく、「使いやすいような配置を考える」ことである。
いつもピペットマン(微量な液体を測る道具)は右手の届きやすいところに置いておく(右利きの場合)、この試薬の瓶はいつもこの位置にある、それだけのことで、実験の流れが体に染みつきやすくなり、無駄がなくなる。
無駄がなくなるということは、より大事なことに神経を集中されることができるようになるということだ。
また、500mlのボトルをベンチの端ギリギリに置いているような場合は、見つけるそばから危なくないように奥にずらしておく。
ちょっとしたことが良いデータを生むためのコツなのだと思うのだが。

3.リラックスできる
普段はいわば横文字の世界で生きているが、お茶の世界は和物で「縦」である。
あるいは椅子vs畳ともいえる。
この切り替えが脳の異なる部分を使うらしく(fMRIを撮った訳ではないが)、頭が、そして心がほぐされる気がする。
さらに言うと、お茶の世界において私は劣等生である。
普段は一応「先生」なので、モノを知っていないといけない、常に先頭に立って走らないといけない、というプレッシャーがあるが、お稽古のときは「分かりませーん」「間違えましたー」ということを平気で言える。
それを支えてくれるお稽古の仲間の友人達がいる。
彼女たちは会社に勤めていたり主婦だったりで、研究をやっている私はちょっと異邦人なのだけど、ちゃんと遊んでくれる。
ほぼお稽古の後は毎回お茶をし、一緒にランチしたり飲みに行ったり、旅行にもご一緒するが、これが滅法楽しい。

という訳で、お茶は楽しい。
勿論その他、いろいろなお道具に直に触れることや、歴史などなどあるのだが、今日は時間切れ。

後でトップページの画像を、サントリーニのお土産で、香合に見立てたらよいと思ったものに変えておきます。
by osumi1128 | 2005-05-25 13:27

大隅典子の個人ブログです。所属する組織の意見を代表するものではありません。


by osumi1128
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31