生物と無生物のあいだ(福岡伸一著、講談社現代新書)

ずっと読みたいと思っていた本をやっと読むことができた。
昨年の5月に刊行されるやいなやあちこち書評でも取り上げられ、2007年のベストセラーにもなっていて、手にしたものは11月発行で第12刷。
このジャンルの本としては「異様な」売れ行きといえよう。

書評を書くときには作者のプロフィールから始めるのが常なのだが、この本にはそれが載っていなかった。
気になる方は自分でググって頂くとして、ここでは本の中で明らかにされている「京都大学出身、専門は分子生物学、ニューヨークはロックフェラー大学とボストンはハーバード大学でポスドク経験有り」ということだけ触れておこう。

本書の面白さは3つある。
まず一つは、著者自身に備わった生命科学分野における長い経験に基づいて、研究の現場や研究者の日常が非常に生き生きと描かれていることにある。
これが、適切な比喩を用いた分かりやすい説明とともに、いわゆる「啓蒙書」臭さを減らしている。
加えて言うと、随所に出てくるアメリカの都市の風景の描写なども、例えば文系出身の経済界の方などがこの本を「面白かった」と取り上げることに繋がるtipsになっていると推察する。
人は共感を持つことができると、ポジティブな評価をするものである。

二つめは、同業者たる読者として、きわめて興味深い「研究不正疑惑」にまつわる話になっていること。
取り上げられているのは、ロックフェラーにいた野口英世や、二重らせんの三兄弟(?)ワトソン、クリック、ウィルキンス。
何故、どうして、研究不正が生まれるのかについて、現場の経験のある人間ならではの鋭い洞察が述べられている。
もっとも、それは本書のメインテーマではなく、生命科学研究者がいかに「厳密に」研究を進めようと心を砕いているかについても触れている。
その例は、グリフィスによって為された、肺炎双球菌を用いた「形質転換」の実験をさらに厳密に行い、DNAこそが「形質転換」を起こす本体であること、すなわち、「遺伝」の物質的実体であることを明らかにしたエイブリー(アヴェリー、アベリーと表記されることもあり)である。
エイブリーこそノーベル賞に値するとして、「unsung hero」として取り上げている(著者が同じロックフェラーにいたという身びいきも差し引いても同感である)。
ちなみに、エイブリーが本格的な研究を始めたのは36歳からであり、ロックフェラーを退職するまでずっと実験を行っていたと書かれている。

三つ目は、内容そのものとしての著者の「生命観」なのだが、「動的平衡dynamic equilibrium」という面を強調している。
以前から、友人の数学科K先生と「生物とは何か」について論じることがあり、大学1年生相手に細胞生物学の授業をしている人間にとっては、半ば呪文のように「自己複製、境界で囲まれている、代謝」などと、「生物が生きている状態」を構成する要素を挙げる。
K先生は多次元の世界をイメージできる方なので、「もし境界が連続的だったら?」などと、日頃、「生もの」に接しすぎている人間には思いも付かない可能性を指摘される。
今回、改めて思い出したのは、生物の体を構成する物質は、かなりの速度で入れ替わっている、というネズミを使った実験だった(だからこそ、生き物は「食べる」必要がある。食べなくても、自分の体を構成する高分子を壊して再構築する)。
その意味では、境界さえも連続的と捉えられるのかもしれない。
成熟した神経細胞の細胞膜成分や、核の中のDNAでさえ、物質レベルでは日々置き換わっているという事実は、「では、何故、自分は昨日も今日も、恐らく明日も、同じ<自分>だと感じられるのか?」という認知脳科学的疑問に繋がる。
「動的平衡」を突き詰めると、「自由意志」は存在しない、というところに到達するだろう。
(あぁ、だから、哲学者は脳科学や生命科学をキケンと思うのかと、再認識)
著者がどのような隠喩でこの「動的平衡」を説明しているのかは、本を読んでのお楽しみ。

という訳で、高校生以上のすべての日本語を読める方に、本書をお薦めします!
私はとりあえず、同じ著者の他の作品を読んでみたいと思っています。
by osumi1128 | 2008-01-03 10:27 | 書評

大隅典子の個人ブログです。所属する組織の意見を代表するものではありません。


by osumi1128
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30