最後の決算
2008年 02月 09日
Jeevesのような執事が欲しいと思う年度末の今日この頃です。
(切れたままの電球もあるし……)
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この前とある会でご一緒した方が、その後のバーでの会話に出てきた「マルテの手記」(リルケ)からの抜粋を送ってきて下さいました。
あらゆる病名がわかってから、どんな最後の決算もみんな疾病のせいになり、その人その人の持ち味などはまるでなくなってしまった。ただ病人は手をこまねいていて、もう何一つすることがなくなってしまったのだ。(新潮文庫、大山定一訳)
その方ご自身の言葉によれば、「坂本竜馬は討ち死にしたのであって、出血多量で死んだのではない。」
ライナー・マリア・リルケは19世紀から20世紀を生きたオーストリアの詩人です。
私自身は本の名前くらいは知っていましたが、読んだことはありませんでした。
上記の指摘は、「個人のゲノムがわかってから、どんな生き様もみんなゲノムのせいになり、その人その人の持ち味などはまるでなくなってしまった。ただ人は手をこまねいていて、もう何一つすることがなくなってしまったのだ。」という読み替えもされるかもしれません。
生命科学の研究をする立場からは、「そんなことはありません。人それぞれにはかけがえのない個性や個人の体験があります。」と常に訴えていますが、科学の発展に漠然とした不安や懸念を感じる方は少なくないと思っています。
特に脳科学は「人の心」までも踏み込もうとしていますので、なおさらでしょう。
このような背景もあり、東北大学脳科学GCOEでは2月19日にGCOEセミナー「脳神経倫理学概論」(直江准教授・文学研究科)を開催します。
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