脳の中の能舞台

月曜日〜火曜日午後まで東京出張でした。
梅雨入りしていて、昨日は夕方に雷雨、今日は晴れて暑く、いずれにせよ仙台仕様の身には辛い時期になりました(溜息)。
しかも、クールビズ体制で官公庁は室内も暑いし、かと思うと電車の冷房は効きすぎていたりするし……。
やれやれ……。

一方、お陰様で『史上最高!』というエントリーのせいで、史上最高のブログ訪問者を頂きました。
皆様、ご愛顧ありがとうございます。
今回の経験を凌ぐ事件は起こさないよう、気をつけたいと思います(笑)。

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さて、私たちの東北大学脳科学GCOEは「脳神経科学を社会に還流する教育研究拠点」と謳っていますので、一般向けのシンポジウムやイベントを定期的に行っています。
7月8日(火)にはNeuro2008のサイテライトシンポジウムとして「社会に踏み出す脳科学ーラボから変わる未来像」を東京国際フォーラムにて開催するほか、7月13日(日)には第2回脳カフェ「杜の都で脳と星を語るー7畳間から生まれた宇宙、1350gの宇宙」をせんだいメディアテークにてNPO脳の世紀推進会議との共催で行います。

このようなイベントの企画は広報室のNさんを中心に進めて頂いているのですが、以前、「脳カフェのテーマで、<脳>と<能>ってどうかなあ?」と相談したことがありました。
「はぁ???」というリアクションを受けて、そのままボツになったのですが(笑)、その後しばらくして「こんな本、出てましたよ」と渡されたのが『脳の中の能舞台』(多田富雄著、新潮社)でした。

免疫学者の多田富雄先生がお能に造詣が深いことを知ったのは白州正子の本からでしたが、そういえば数年前、NHKの番組で広島の原爆投下をテーマにした能を書かれたことが取り上げられていたのを思い出しました。

オビには「鼓を打って四十年、免疫学者が能に見出したものは?」「能はすぐれて現代性に富む芸術。こう観ればもっと面白くなる!」とあります。
能が現代性に富むってどういうことだろう?
どちらかといえばスピードの遅いように思える演劇なのに、なぜ<現代性>があるの?
という疑問がまずわきました。

本には、すでにいろいろなところに書かれた能評やエッセイの収録と、3つの新作能の台本ほかが収められています。
ミステリーのようなストーリー性がある本ではなかったので、先日の米国出張のお供となり、カンザスシティーに行って帰ってまだ読み終わらず、その後の東京出張で読了しました。
不思議な世界を旅してきたような読後感でした。

そもそも、祖父はお謡いを習っていましたが、自分がお能の舞台を初めて観たのは高校生のとき、学校の行事として行った渋谷の国立能楽堂でした。
演目が何だったのかも覚えていません。
地謡も台詞も聞き取れず、やたら眠かった記憶があります。
日本の古典芸能としては、歌舞伎や浄瑠璃の方がとっつきやすい、と思っていました。

印象が変わったのは、数年前に比叡山で元旦の薪能を観たときです。
やはりその際の演目も覚えてはいないのですが、<幽玄>というのはこういう世界を言うのかな、と心に残りました。
篝火に照らされた装束が美しかったからかもしれません。

さて、そんな程度の知識しかなかったので、本書は「能って何?」ということを知るには良い入門書になりました。
とくに、台本を読むと、まず「ワキ」の台詞として、これから始まるストーリーの背景や登場人物の紹介があって(ギリシア劇やシェークスピア劇と同じですね)や、やがてツレやワキツレや、主人公のシテなどが登場し、最低限の人物と舞台装置で物語りが進んでいく、ということがよく分かりました。
登場人物は幽霊だったり、狂女だったり、花の精だったりする訳ですが、それが「橋掛かり」からこちらの舞台へと渡ってきて、成仏できない苦しみや、煩悩を訴えて物語りが展開し、やがてまた橋の向こうに去っていく、というパターンもかなり類型化されているのですね。

この10年の間に携帯電話が普及しようが、iPhoneが日本に上陸しようが(←やっぱり気になります)、人間の心の営みというもの自体は千年の間に、そう大きく変化するものではない、という意味で、名曲と言われる能は現代にも通用する、というのが「能はすぐれて現代性に富む」という主張の理由の一つ。
もう一つは、現代的なテーマでも「能」という様式に収めることが可能であるということなのだと思いました。
そういう試みとして、多田先生は新作能として、脳死を扱った「無明の井」や、アインシュタインの相対性理論をテーマにした「一石仙人」を書かれた訳です。
私はさらに、能の中では「翁」や「姥」がリスペクトされているという点において、高齢化社会を向かえる今、見直してみたいと思いました。

ちなみに、本のタイトルは、多田先生の脳の中には、折々さまざまに演じられた能の曲目が一回ごとに記憶されていて、何かの折に脳の中で再現される、ということから付けられています。

今年、世界遺産登録になるかもしれない中尊寺でも薪能が毎年行われます。
お盆の頃というのがネックなのですが、是非行ってみたいですね。
by osumi1128 | 2008-06-11 00:32 | 書評

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