佐賀県立美術館ほか
2008年 10月 13日
なんと、入館料が無料!なのですね。
美術館では「有明の海と縄文人」という企画展が開かれていて、縄文好きの私としては外すわけにはいきませんでした。
建設工事によって発見された東名(ひがしみょう)遺跡からの発掘物等が展示されています。
この遺跡はおよそ7100年前頃から6600年前の縄文時代早期頃に作られたと思われる貝塚などを中心としています。
ちょうど氷河期が終わって全世界的な温暖化が進んだ時期で、貝塚が形成された後に粘土層が厚く堆積することにより、動植物性遺物が良好に残存したようです。
貝塚からはとてつもなく大きな牡蠣の殻や、アゲマキ、ハイガイ、ヤマトシジミなどが見出され、また、貯蔵穴跡には網籠が多数残っていたことは特筆に値します。
非常に凝って編み目で模様になっているようなものもありました。
土器は、いわゆる東北地方の特徴の火炎型ではなく、非常にシンプルなものが中心で、祭器ではなくて煮炊きに用いられたもののようです。
石器は、石匙、石斧などだけでなく、堅果類の加工等にセットで使用されたと考えられる台石と磨石などもありました。
装飾品としては主に貝を利用していて、腕輪やペンダント・ネックレスのような加工が為されていました。
ヒトは縄文時代でもお洒落だったのですね。
いつか吉野が里遺跡も訪れてみたいと思います。
おっと、その前に、青森の三内丸遺跡もまだだったのでした……。
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それにしても、高校時代、たった1コマ授業が少ないために日本史ではなく地理Bを選択したことは痛恨です。
しかも、共通一次も最小単位の組み合わせ「政経・倫社」で受験しましたし(さすがに、その後、この組み合わせはできなくなりましたね)。
日本史の知識は中学レベルの江戸時代までと、個人的に好きな古代、お茶のお稽古で聞きかじった安土桃山くらいが少しマシな程度。
江戸から明治への転換というのは、どのくらい激動だったのかと思いを馳せることがあります。
現代のように変化が早い時代とは、どの程度似ていたのでしょうか。
東北大学の初代総長の澤柳政太郎の伝記を読みますと、学校制度など数年おきに変わっていたようですから、現場の先生方はどうしていたのかと思います。
文部省官僚から総長として1907年に東北大学を設立した後に、1913年からは京都大学総長にもなった訳ですから、まあ、大学改革を強引に進めていたともいえます。
今ほどの大学の数はなかったので、影響を受ける実数は少なかったでしょうが、大変なことには違いないでしょう。
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ちょうど6時前くらいに仙台空港に着陸する頃、美しい夕暮れの空が飛行機の窓から見えました。
何か嬉しい気持ちになりますね。
画像は携帯のデジカメで撮影したお堀の景色です。

トップ画像をハロウィーンものに替えておきました。
先日、通りかかったお花屋さんで衝動買いです(笑)。