『脳内イメージと映像』

本日はCRESTのサイトビジットがありました。
津本研究統括ほかに研究室にご訪問頂き、研究の進捗状況についてのプレゼンを行いました。
「順調に進展している」との評価を頂いてほっとしたところ。
終了後に関係者で夕食を供にし、打ち上げ気分で久しぶりにカラオケに行きました。

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さて、上海出張のお供に連れていった本は『脳内イメージと映像』(吉田直哉著、文春文庫)でした。
先月末に他界され、その前から読もうと思っていた本を慌ててAmazonで注文したのでした。
発行日が平成10年10月20日となっていて、ちょうど20年前なのだと不思議な気持ちになりました。

吉田直哉氏はNHKのプロデューサーとして有名な方ですが、東北大学医学部教授でもあった吉田富三先生のご子息で、学制改組でできた仙台二高にも在籍されていました。
吉田先生は癌研究で著名な方ですが、直哉氏は1994年に食道癌の手術をされ、3回の臨死体験をしたときに見た「脳内イメージ」のことが冒頭で語られます。
ヴィジュアル系の私としては興味深い内容満載の本なので、いずれどこかにまとまった書評を書こうと思いますが、本日は「うつす」ということについてのみご紹介。

日本語では「移す」「遷す」「写す」「撮す」「映す」とさまざまな漢字があてられ、それぞれ違った意味を持つのですが、日本人の意識の下では「写す」ことや「移す」ことに共通の捉え方がある、ということを、大岡昇平の言葉を引用して説明しています。
曰く「写す」という行為は本質的に「移す」ことであり、「物体のエッセンスの、あるものから別のものへの浸透を意味する」というのです。
このような捉え方が、漢字から平仮名や片仮名を生みだす元になり、それらを混合して使うという独特の文化、いわば「うつしの美学」につながったのだと。
漢詩から和歌への変換や、菅原道真の「新撰万葉集」に見られる、和歌に七言絶句を添えるという創造活動がこれにあたります。

思えば、日本人にとって漢詩というのは不思議な鑑賞スタイルを取ります。
漢字が並んだ状態のまま、目で見て意味を知ることもできますし、レ点など付けて読み下すこともできます。
英語の場合もそのように取り入れようとしたことは、今から思えば一種の失敗だった面もある訳ですが、漢詩が長く日本の知識人の素養として重要であったことは、叙情的ではありますが叙事的なことを表すのに適さない日本語を補う効果があったのだと考えられます。
吉田氏は、このとき脳の中で視覚言語、聴覚言語が多重にイメージを生みだしていると捉えています。

今回上海に行って、新体ではありますが、漢字という共通項が中国と日本の間にあることは喜ばしいことだと感じました。
漢字を知っていることによって、13億人とコミュニケーションを取ることも可能なのですね。
by osumi1128 | 2008-10-22 01:07 | 書評

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