英語の勉強

班会議で岡崎の三島ロッジに宿泊したことは述べたが、同じキャンパス内にはロッジの他、留学生や海外からのvisiting researchersなどの長期宿泊施設や寮もある。
初日の夕方、子供の遊んでいる声に思わずそちらを向いたら、おそらくインド人と思われる兄妹でびっくりした。
というのは、その子達の離す日本語は完璧に「日本語」だったからだ。

英語圏に留学中の方のお家に泊めて頂くことも多いが、やはりそのお子さんたちはたいてい親よりもはるかに流暢な英語を話す。
子供の言語獲得にとっては、親よりもむしろ遊び仲間である同年代の子達の影響の方が強いようだ。
子供が言語を獲得するのは脳の中に生得的なプログラムがあるためであり、そのプログラムは非常に柔軟で、周りの環境に合わせて必要な言語(文法や発音を含め)を習得させることができる。
残念なことに、このような自然な言語獲得機構は10歳頃までに失われるという。

中学から義務教育として英語を教えているにも関わらず、外国人に道を教えることさえ困難な人が多いというのは、根本的なストラテジーにおいて欠陥のあるプログラムと言わざるを得ない。
そこで、もっと小さいときから英語を教えてはどうか、という議論が文部科学省等でなされている。
これは大変結構な話である。
ただし「きちんとした日本語教育」をした上でだが。
それはなくて英語偏重というのは、日本人としてのアイデンティティーに関わる問題だと思う。

2004年2月にあった振興調整費シンポジウムのパネル討論会「日本の研究環境の国際化」において、私は以下のような主張をした(抄録より)。

【科学分野における国際性と英語力】
 言うまでもなく、今日では国際会議における使用言語は一般的に「英語」となっている。科学分野で生きていくためには、英語を「読み・書き・聞き・話す」ことは必須である。地球上には民族の数以上に多数の言語があるにも関わらず、「英語」が共通言語として使用されるようになった。科学分野においては、英米の貢献度の大きさから言って誰もそのことに疑いを抱かないかもしれない。しかし、第二次世界大戦以前では、重要な論文がその発見者の母国語で出版されていることは多く、アカデミアにいる人間は、英語を母国語としていても仏語、独語の論文を読みこなしていたはずである。現時点における英語偏重はきわめてアンフェアーな状態と言える。英語を母国語とする研究者は何の苦労もなくコミュニケーションが可能であり、制限時間の中で最大限の主張ができる。外国語として英語を用いる研究者は、個人個人でその度合いは違うが、言語の面でハンディを負う。
 日本では「国際性豊かな人間を育成するために、英語教育をもっと重視しよう」という奇妙な主張がまかり通っている。確かに、民族や国籍を超えたコミュニケーションの手段として、英語による会話は重要である。義務教育として中学校から英語を教えているにも関わらず、ほとんど会話できない人間しかアウトプットされないということは、由々しき問題である。しかし、英会話が堪能であるということと、国際性を備えるということは同義ではない。英語を話すだけで国際性が身につくのであれば、英国・米国で育つ子供は皆国際性に富んだ人間に成長するであろうか? 否。国際会議中にしばしば目にする光景であるが、英語でのコミュニケーションがあまり上手くない発表者に対して、ネイティブが早口で質問をまくし立て、聞き返しても全く同じ速さで繰り返す。これは真の意味での国際性に欠けた態度と言える。
 英語教育が無駄であると主張しているのではない。必要以上の英語教育により、本来伸ばさなければならない能力を損なう可能性を危惧するのである。本当に必要なのはまず、日本語できちんと論理だった会話ができ、論理だった文章を読み書きできる能力である。論理は直感的に理解される。言葉に論理性があれば、それは容易に外国語(例えば英語)に翻訳可能であり、これは専門的な人間に任せても、あるいは将来的には自動翻訳機に任せてもよい。言語は文化であり、国や民族のアイデンティティーの1つなのだから、ネイティブの英語が聞き取れなかったら「Could you speak in Japanese? Otherwise, would you say it again more slowly?」とにっこり笑って言える勇気と誇りを持つべきである。国際性とは、互いに相手のパーソナリティーや文化をリスペクトするところにこそ生まれ育つ。
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さて、一方で上記のような主張をしつつ、やっぱり英語そのものも磨かなければと思っていることも事実である。

私の英語体験は、おそらく1歳半くらいの時期に留学していた母の持ち帰った「三匹の子豚」他の英語の「ソノシート」(うーん、この単語を知らない読者もいるかも。ぺらぺらのSPレコードだと思って下さい)による歌だと思う。
その後、小学校2年くらいから同級生のお母様が、自分の子供だけだと教えにくいので自宅で英語教室を開かれ、それに参加した。
母が働いていたために、世話をしてくれる祖母の負担を減らすためにも、毎日日替わりで絵のレッスンやピアノのお稽古などで時間をつぶしていたのだ。
もっとも私としては、自宅では動物を飼うことができなかったので、そのお家のシャム猫と遊んだり、漫画を見せてもらったり、美人のお母様がたまに硝子のティーカップで紅茶を入れて下さったりするのが嬉しかったのだが。
中学・高校では教師は日本人であったが、皆そこそこ良い発音だったと思う。
プラスαの勉強としては、英語の歌を聴くこと(とくにマイフェアレディの挿入曲や、カレン・カーペンターのアルトの歌声が分かりやすくてよかった)と、「百万人の英語」というラジオ番組。
これはテキストも買ってほぼ毎日のように聴いていた。
大学時代は個人レッスンにも少しだけ行ったが、先生とあまり合わなかったので挫折。
英語のカセットテープのセットなどに無駄な投資もしたが、ためになったと思うのはアルクのEnglishマラソン(当時)というもので(毎月テキストとテープが送られてきて、ヒアリングテストを自主的に行って返送するなどのシステム)、こちらはインタービューなどいろいろなコンテンツが面白かった。
(今Googleで探してみたら、総合語学教育ビジネスを展開しており、大きな会社になったものだと感心した。)

私は大変残念なことに留学の機会を逸してしまった。
(是非「サバティカル制度」を大学に作ってもらわなければならないと思っているーーー真剣に!)
したがって自力でなんとかしなくてはという意識は強く、なるべく国際会議では2週間以上滞在するようにしたり(最近は忙しくなってしまいなかなか・・・)、ラボ内のジャーナルクラブで英語を用いたりしている(発案は留学帰りのスタッフによる)のだが、最近の好みは寝る前に「英語のテレビドラマ」のDVDを見ること。
DVDは字幕も英語や日本語を選べるのがとても良い。
映画だと2時間近くかかってしまうが、たいていのテレビドラマは25分程度なので丁度よいのだ。
継続は力なり。そのためにも、楽しんでできることは大切。
by osumi1128 | 2005-06-15 15:26

大隅典子の個人ブログです。所属する組織の意見を代表するものではありません。


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